2024年5月 4日(土) 14:32 JST

お仕事オシゴト!

ぬいいとさんの天職

なんだか時期的にだいぶ離れちゃったけど
書かないと気になって仕方がないので
やっぱりしたためますね。

復習。
「天職とは自分のたましいが喜ぶような事
 銭かね関係なく時間を忘れてしまうほど
 没頭してしまうようなこと
 そしてそれが人のためになるような事」

うーん、あたしの天職ねぇ。
何をすることでたましいが喜んだか
時間を忘れて没頭したものは何か
今までをふりかえってみましたが。

料理をつくることも
「 いらっしゃいませぇ 」と人をもてなすことも
絵を書くことも
毎年ふざけた年賀状考えることも
オリジナルアルバムをつくることも
学校の新聞屋さんやることも
ブログを書くことも
その作業自体は特別好きってものじゃない。

でもね。
そこに 「 ひと 」 が絡んでくるとガラリと様相が変わってくるんです。

どうしたらこのひとが喜んでくれるか
どうしたらみんながウケてくれるか
目の前の疲れた人が少しでも楽になるような術はないか

と、ここまで書くとこのぬいいとさんがすごく献身的にみえますが。
つきつめれば、そういうことで結局
「 自分を認めてほしい 」んでしょうなぁ。
素直にいいます。やっぱり自分が一番かわいい(笑)。

だからせめて押し付けにならないよう
「 自分がやりたいから 」やる。
常にそういう心がまえでいるようにつとめてるんですが。

ぬいいとさんの天職。
「 自分も人も元気になれること 」
なーんか抽象的過ぎですが。

ぬいいとさんの「適職」

そりゃ、もう「食堂のおねえさん」でしょう。

一日中でも、休みなしでも、何年でも
同じテンションで店まわりする自信はあります。
いい意味で抜き所もわかってるし
押さえるところは押さえます。
変に冷めたところもあるけどプライドもある。

もし、なにか事業をイチから興すとしたら
今のあたしでできそうなのは、コレしかありません。

ただね、この職業に関しては大きな夢もないんです。

人をもてなすのが好きかといえばそうでもない。
どちらかというと、もてなして欲しい方です。(笑)

やりたいことと、そつなくできることが一致しなくて
ジレンマがあった時期もありましたが

そつなくこなせる=「適職」
お金を稼ぐための仕事=「適職」
生き甲斐は「天職」で求めればいい。

と片付けてしまえば迷いはなくなりました。

「食堂のおねえさん」
大きな夢はないけど、日々楽しいことは結構ありますよん。

なにげない会話でお客さんから笑いがとれた時とか。
長年変えられなかったシステムをやっとの思いで変えてもらった時とか。
なによりご飯を食べたあと満足げに帰られる姿をみると
ちょっと幸せ気分になります。

適職と天職

昨年の事になりますが、学校の新聞屋稼業にてんやわんやだった頃
本屋さんでなにげに手にした本の中で
とても「目からウロコ」な教えに出会う事ができました。

「自分に合う仕事には『適職』と『天職』の二種類がある」

「適職」とは自分が生まれつき持っている資質のなかで
「お金を得ることができる技能を生かした職業」のこと
そして「天職」とは、お金とは関係なく
「自分のたましいが喜ぶ仕事」のことで
なおかつそれによって多く人々に役立つことができる仕事のことをいいます。

それで人が生きていく為にはこの
「適職」「天職」の両方が必要。
このふたつはいわば車の両輪
片方だけじゃ同じところをくるくるまわるだけ
両輪同じように動いて初めて前に進む、ということなんです。

話し出すととてつもなく長くなりますので
詳しく知りたい方は
江原啓之著
「スピリチュアル ワーキング・ブック」
ご覧くださいませ♪

これまでやりたいことと、やれることがごちゃごちゃになってて
行動を起こしたいのにその術がわからず
人から「いったいなにがしたいの?」ときかれても
うまく気持ちが伝えられず
試行錯誤の繰り返しでしたが
この言葉に出会い大幅に気持の整理がつきました。


昨日、HPのおっしょはん、ななこさんとお茶してたんですが
くしくも彼女も同じようなこと喋ってました。

「銭かね関係なしにやりたいこと」

彼女も自分の「天職」というものに気付いているようです。
そしてそれには「適職」が必要であるということも。
(もしかしてこの本読んだのかしら?)

ぬいいとさんの「適職」と「天職」
二日ほどにわけてお話させてもらいますね。

学生さーん!

今日は地元の中学校の生徒さんが
「体験学習」と称してお店のお手伝いに来てくれました。

中学2年生の男の子がふたり。
ふたりとも学校の部活とは違う
「サッカークラブ」に所属とのこと。
 (^_^) うん、通りでご挨拶がきっちりしてらっしゃる。

この体験学習の生徒さんをお預かりするのも
今年で五年目。
いろんな生徒さんが来られました。
で、今年はというと・・・。
いや、実に頼もしい生徒さんでした。

とにかく明るい!
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」
最初から、もう、板についちゃってます。
コレ、言えるようになるまで
1ヶ月かかったバイトさんがいるんですよ。

品物の通し方にもルールがあるんですが
教えなくてもちゃんと勝手にマニュアルみて
覚えようとしてるし
「ご飯はどんぶりの左に置く。」
なんてことも、教えてないのにふたりで相談して
ちゃんと実行してるんです。
最後の方では尊敬する齋藤先生のいう
「 真似る力 」 のオンパレード。
ともすれば半年たっても仕事が把握できない
 (あたし流にいえば、把握する気のない)
パートさんがいるというのに。

「若いから覚えるのも早い。」
「元気やから動くのも速い。」
年輩の方はとかくこう言いがちです。
たしかに。それは否めません。
でもね、「仕事に対する姿勢」
これだけは働きに出る以上
年がいってても失ってはいけないと思うんです。

たった一日のことなのに、彼らはほんとに
よくやってくれました。
そして確信しました。
  「 働く姿勢に、年齢や経験は関係ない。」
結局その人の気持ちひとつなんですね。

おやつの時間に
「おはぎとバナナ、どっちが・・・」
と、こちらが尋ね終わらないうちから
 「\(o ̄∇ ̄o)/ おはぎ~~~!」
と、ハイトーンで叫んでくれました。
そやな、ここへ来たらコレ食べな、ウソやわなぁ。

今年は彼らと働けてとても楽しかったです。
明るくて、素直で、前向きなサッカー少年たち。
このまま、真っ直ぐに育ちますように。

商売っ気

普段、店をまわりながら心してることのひとつに

 「お客様に倫理を強要しない」

と、いうのがあります。
ちょっと、常識外れかな?と思うことでも
それがほかのお客様の迷惑でなければ
たいがい黙認、あるいは受け入れます。

それとは別に
 「『商売っ気がある』という事は
  必ずしも『お客様の言いなりになる』
      ということではない。」
という持論もあります。

このふたつの持論、たまにぬいいとさんの頭の中で
けんかすることがあって、困ります。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

ぬいいとさんの実家では「おはぎ」も販売してます。
1ヶ100円(税込)。重さ100g超。(笑)
値の割には大きく、小豆にこだわりがあり
味はあっさりしてるけど風味がある、
手前味噌ですが、結構自慢のおはぎです。

昔はひとりで5ヶ、10ヶと買われる方がほとんどでしたが
ひとり暮らしのお年寄りが増えたからでしょうか
今では2ヶ、3ヶ、というお客様がほとんどです。

「1ヶちょうだい」のお客様も最近は少なくありません。
このご時世なので、それはかまわないのですが
なにせ、一個入り専用のパックがない。
仕方なく二個入り専用のパックに入れ
包装紙を巻かずに袋に入れてお渡ししています。
正直、原価割れスレスレです。(笑)

で、先日あった予約のご注文。
 「おはぎ一個入りを13パック」
・・・・・(((((((((((^_^;) え゛っ?

ま、いろいろ事情もございましょう。
で、包装紙に包まなくていいとのことだったんで
そのようにしてご用意してお待ちしてました。
そして引き取りに来られたお客様、開口一番
 「え?包んでくれてはれへんの?」
聞けば、包まなくていいとはいったけど
気ぃきかせて包んでくれてると思っただの
包んだ方がお店の宣伝にもなるだのetc.....
あげくのはてに私が包むから包装紙くれだの。
そこまで言うなら最初から「包んで」といえばいいのに。

正直申しましょう。
包装紙開けて、あの大きさのパックに
ゴロンと一個だけおはぎが入ってる絵面は
滑稽なモノがあります。
くだけた場なら包まず出した方がいいし
包んだもの出さなアカン様なあらたまった席では
やめた方がいい。
て、本人さんの前では言いませんでしたけどね。

「なら、最初から一個売りをやめれば?」
でもね、「一個ちょうだい」って言う方が十人いたとしたら
そのうちの九人は
 「包装なんてどうでもええからとにかく一個だけ食べたいネン」
って方で、また、少量でもちょくちょく寄ってくださる方が
ほとんどなんです。
そう言う方は大事にしたいしね。
だから黙って言うとおりにしたのに・・・ぷんぷん。

「お客様の苦情は真摯に受け止めて」
も、わかるのですが
「客やから何言うてもいい!」
ってのには、いまだ抵抗があってね。
いまだ、アマちゃんなのかなぁと考え込んだり。

・・・・・でも、どこかで「線」は引かんとあかんよ・・・ね・・・?
店にも 「最低限のプライド」は、あってもいいと思います。

  

ページナビゲーション