2024年4月25日(木) 10:42 JST

雑学

お宝発掘

父の部屋を片付ける際、微かな期待を寄せていた。

「ひょっとしたらどこか隅っこの方から
 札束でも出てけぇへんかな?(* ̄ー ̄)」

父の晩年から没後にかけて隅から隅まで所持品を確認したが、期待は泡と化した。
札束はおろか、五百円札一枚たりとも出てこなかった。

お札はなかったけど小銭はジャラジャラと出てきた。
お店の釣り銭に使うために取り置きしたまま机の奥に忘れ去られていた百円玉30個とか
一円玉と五円玉だけ入った小さな小箱だとか。
中でも扱いに戸惑ったのが少し昔の小銭だ。
昭和30年代を中心に出回っていたひと昔もしくはふた昔前の百円玉、東京オリンピックや天皇在位、各種博覧会などの記念硬貨だ。
素人目に見ればちょっとは値打ちがあるんじゃないかと思われたが、ググってみればさほどでもない。
ちょっぴり後ろ髪を引かれながらも古銭はすべて銀行にて換金、Y太の1ヵ月分の小遣いぐらいになった。
埋蔵金は全部あわせても数千円ほどだったが、父の直葬費用で先の過払い金をほぼ全額使い果たしてしまっただけにとてもありがたく感じた。

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切手がやたらたくさん出てきた。
なかでもワケわからんのが9円切手20枚。
何に使っててん?どうやって使うねん?である。
別の切手やハガキに交換しようにも1枚当たり5円の手数料を払うと値打ちは半分以下になってしまう。
結局その時ハマっていた懸賞の応募はがきにズラズラズラと6枚貼って使うことにした。
超過分2円はくれてやる~!

あとは額面62円の記念切手らしきものの束。
ざっとかぞえても100枚以上ある。
何に使っててん?どうやって使うねん?である。
もう少し早く発掘していれば消滅時効援用通知書を配達証明付きの内容証明郵便で送るときに使ったんだけど。
(数千円かかった。)
地道に使っていこうかとも思ったが枚数が多すぎる。
で、ちょっとロスがあるけど手数料を払ってその他モロモロの切手やハガキもひっくるめてすべて弔事用のハガキと交換した。

「いや~!助かる!
 去年はハガキ買うお金がなかなか出来なくて
 喪中ハガキ出すの、年末になってしもてん!」

その日暮らしの実姉 keshidmaさんが
ホッと胸をなでおろす。
(keshidmaさん一家は2年続きの喪中だ。)
相続権のあるkeshidmaさん優先で必要枚数ゲットしてもらい、残りは手間賃がわりに私が頂戴した。
長女ピカリさん、ごめんやしておくれやして。
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金歯が出てきた。
大小取り混ぜて7つほど。
ちっちゃなチャック付きビニール袋に入れられて
ちょっと大事なものを入れてる引き出しから発掘された。
見た目、あんまりよろしくない。

「もう!おとうちゃん、こんなもんまで
 後生大事に置いてからに。」

同じくそのそばに鎮座していた入れ歯と一緒に廃棄しようかと思ったけど

「、、、待てよ?」

金歯でも換金できるとどこかで聞いたような、見たような。

「とりあえず、しかるべきところへ行って
 査定してもらってくるわ。
 何百円とかにしかなれへんかもしれへんから
 (何百円とかにしかならないかもしれないから)
 大きな期待はせんといてな。
 (大きな期待はしないでね。)」

相続権のあるkeshidmaさんにこう言って打診。
ググって出てきた職場近くの買い取り店に出向いた。

オフィス街にあるちょっと、いや、かなり敷居の高そうなお店だったが
思い切って門を叩く。
出てきたのは若い、一見気のよさげなあんちゃんだった。

あんちゃんは身内でさえ触るのをちょっとためらってしまうようなそのブツを
ひとつひとつ丁寧に査定。
重さを量った後にこう述べた。

「重さは全部で15グラムくらいですが
 いろんな不純物も混じってるので
 ざっと12グラムとしますね。
 それを14金換算で、、、
 こんな感じになります。」

・・・おぉ~。(* ̄∇ ̄*)
よくても数千円くらいかと思いきや
あんちゃんが差し出してきた電卓の数字は5桁を表していた。

「え?そんなに?!
 まぁ~、おとうちゃん!どうもありがとう!」

にいちゃんの目もはばからず、思わず金歯に手を合わせてしまった。
( ̄人 ̄)

「え?どれくらい、どれくらい?!」

ん~、うちの旦那さんのひと月のお小遣いより1割安、といった感じ。
最初は2~3件まわってみる予定だったが思ったより高値だったことと
アチコチまわるのも面倒だったこともあり
その場で換金してもらうことにした。

「やっぱりめんどくさがらず
 もう1軒くらい回った方がよかったかな?」

と、あとから残った小さな悔いは
今後どこかで遭遇するかもしれない
類似場面における教訓として心に残しておこう。

以上、発掘された埋蔵金は相続権のある
keshidmaさんの許可を得て
いったんおとうちゃん基金にプール。
骨納め、まだ終わってへんし。

里芋

「 もらってんけど食べきれへんから手伝って〜!」
と、友ラルちゃんより里芋をちょうだいした。

「 なんかものすごくデッカイのもあるねんけど
  ほんまに里芋なんかどうなんかようわかれへんわ。」

ほんまや、ソフトボールほど、いや、それよりもデカい。

食べきれないからと頂戴したお芋さんは
これまた我が家でも食べきれないほどの量だったので
そのまた半分にして次の日旦那さんの実家へ持って行った。

「 おいしそうなお芋やん♪」
さすがおかあさん、土まみれの状態でも
良し悪しがわかるんや。

「 我が家にものすごくデッカイ芋が残ってるねんけど。」
の問いに
「 あ〜、それ、親芋や。」
と、母。

その周りに小さなお芋さんがたくさんできること
根元がピンクならふつうに皮をむいて適当な大きさに切って
同じように炊けばよいこと
などを教えてもらった。
ラルちゃんも私も都会っ子やからな、そんなん知らんわ。
さっそく教えてあげよ〜っと。

土が付いたまま水から茹でて、沸騰したら火からおろし
皮をむくと楽チンにむける。
あとは適当な大きさに切って、たくさんある時は
冷凍しておけばいつでも使える
なんてことはお隣のおかあさんからその昔に教えてもらった。

実の母、いとさんはとうの昔に亡くなったけど
私のまわりにはおかあさんが其処此処にいらっしゃる。
そういえばこのお芋さんもルーツを辿れば
ラルちゃんのおかあさんところにやってきたんやっけ?
ほんま、おかあさま方、ありがと〜♪^^

さっそく大根と鶏肉で親芋のところを炊いてみた。
親芋はちょっと変色してるけど、えぐみもなく
しっかり炊けば柔らかくなる。
何より煮物のセオリー通り、一晩置けば味も馴染んで絶品だ。
他の小芋と一緒に炊くより、親芋オンリーの方が
炊きムラがでなくてよいかも。

残りの小芋はすでに冷凍庫でスタンバっている。
さて、旦那さんの大好きな小芋の天ぷらはいつにしようか。
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豆ごはん

春になったら豆ごはんを食べるのが当たり前の事だと思ってた。
日本全国そうだと思ってた。

ちゃうんや!
ってことを半世紀生きてきて今日初めて
ケンミンショウで知った。

花のお江戸では豆ごはんはえらく不評で食べる人は
めったにいないとのこと。
インタビューに答える都民たちも豆ごはんと聞いただけで
顔をしかめる。

なんで?!あんな美味しいもん、なんでそんな毛嫌いするん?
食文化の違いがあるにしても
もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜
多少のヤラセがあったにしても
そこまで否定せんでえぇんちゃうん?

と、ちょっと心外な気分だったのだが

「 なぜ、大阪の春は豆ごはん?」

のワケをきいて納得した。

浪花の豆ごはんにはウスイエンドウという品種の豆が
使われてるのだが、お江戸ではグリンピースが
使われていること。
そりゃグリンピースご飯なら浪花人でもおことわりだ。
ウスイエンドウの豆ごはんはちょっと大げさにいえば
栗ご飯に近いものがある。
青臭さがなく、ほんのり甘味がある。

毎年春になると当たり前のように店先に並んでいる
ウスイエンドウ。
ルーツを辿ればその昔、大阪は羽曳野の碓井(うすい)
というところでグリンピースを食べやすいものにしようと
品種改良され栽培されたものだそうだ。

今は和歌山で作られていて大阪とその近郊にしか
出荷されていないとのこと。
そうなんや。
津々浦々に出回ってるもんやと思ってた。

保存がきかない品種だから春にしか食べられない。
そんなこんなで「 大阪の春は豆ごはん 」だとさ。
以上、ケンミンショウをご覧にならなかった方のために
軽く解説。

なぁんか、当たり前のように食べてた豆ごはんが
急に貴重な存在に思えてきた。
もうちょっと感謝して食べよ。

ちなみに、Y太も大阪人だけど、豆ごはんは苦手である。
とっても美味しい豆ごはんだけど、やっぱり好き嫌いはある。
大阪人すべてが豆ごはんloveなわけではない。

ついでにいえば、世に良く言われる
「 お好み焼きにごはん 」
という大阪人は、私の周りにはいない。
人の話は七分くらいに聞くのがちょうど良い。

取り立て強化

オハズカシイお話であるが、ぬいいとさんが毎日働いている
実家では、もう何年も税金の滞納が続いている。
その取り立てがここ数年、心なしかヒジョ〜に厳しくなった。

「 もしかして、はっしゃんが影響及ぼしてる?」

姉 keshidama さんとふたりでまことしやかに語る。
もちろん真相は定かではない。
ただ単に滞納の限界時期と、大阪はっしゃん体制が
偶然リンクしただけかもしれない。
でもふたりの間では

「 絶対はっしゃんやで!」

と、なんの根拠もなく憶測で、でもかなりの確信をもって
そういうことにしてしまっている。
あくまでもふたりの間だけで、である。念のため。

通常の納税額の何倍もの金額を納めている現状は
正直、ものすごくしんどい。
頭ではわかっていてもついついお門違いな恨み節がでてしまう。
そう、はっしゃんにむけて。(笑)

ただ、この取り立て強化が憶測ではなく本当に
はっしゃん体制によって拍車がかかったものであれば
当事者にとってはしんどいことだけどもありがたいことだと
私は思っている。
そう、遅かれ早かれ、いずれは納めるべきものなのだから。

税金滞納には人それぞれ理由があり、致し方ない場合も
多々あるけれども、「 甘え 」や「 怠惰 」が原因となっている場合も少なくない。
思うに、納める側にも、取り立てる側にも。

「 やいやい言うて( うるさく言って )取り立てる。
  やいやい言われてやっと出す。」

一時的な痛みは伴うが、今の、そして未来の大阪には
必要なことだ。
はっしゃんは嫌われ役を買ってそのへんのところに
メスを入れたのでは?とはなんてこたぁない大阪マダムの
右脳で繰り広げられている妄想、ということで。

そう、納税は義務です。
逃げたらアカンよな。
らじゃ♪(`´ゞ

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先日、検索の旅先で

「 前市長の時は『 差し押さえ 』の件数がハンパじゃなかった 」

という言葉に遭遇した。

そういえば競売課の人が言ってたな。

「 少しでも収入の見込みがあるところは
 がんばって納税してもらい、なるべく差し押さえせずに
  済む方向に持って行こうとしています。」

モノ知らん大阪おばちゃんの右脳妄想も
あながちハズレではないようだ。

二重行政との遭遇

6年ほど前、Y太が小6の時のこと。
Pの一代プロジェクト・前編と自分勝手に銘打って
熱い思いを込めたPTA広報誌を作った。
自分でいうのもなんだが、傑作だった。
発行した広報誌を、後にいろんなSNSで御披露目をしたところ
暴走女帝から

「 大阪府の広報誌コンクールにエントリーしたら?」

と薦められた。
大阪市のコンクールエントリーは毎年のことであるが
そういえば大阪府の方はなぜかそれまで前例がない。
さっそくしかるべきところに現物を郵送してエントリーした。

数日後、コンクールの主催者から学校側に連絡があった。

「 大阪市の学校は、大阪府の広報誌コンクールに
  応募することは出来ません。
 送っていただいた広報誌はこちらで破棄してもよいですか?」

はぁ?!
大阪市は大阪府の中にあるんちゃうん!?
大阪市民は大阪府民やない、っちゅうんかい?!
大阪市は飛び地かい!!
はっしゃんが口すっぱくして言うとるのはこのことかい!

…と、なんてこたぁないPTAマダムが身近で体験した

「 大阪府と大阪市の二重行政 」

がコレ。

何がどのように無駄なのか、当時も今もよくわからないけど
この二重行政プチ体験に遭遇した私の右脳は
ものすごい違和感を覚えた。

「 確かに、この状態って、おかしいよな。」

それでも都構想には反対やったけど。

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