2024年12月24日(火) 02:57 JST

ダブルワーク

職場での上司とJKバイトの会話。

J「今週1週間、連勤(連続勤務)なんですよ~」
上「え?そうなん?
  そしたらどこかに休み入れてもらうように
  人事担当に交渉しなきゃ」
J「いや、ダブルワークしてて
  ここが休みの時は別の所で
  働いてるんです~。」
上「そうかぁ、そりゃしゃあないなぁ(笑)
  ここだけやったらどないかしてあげられるけど
  (ここだけならどうにかしてあげられるけど)
  どないもしてあげられへんわ~。
  (何もしてあげられないわ)」

別の上司が重ねて会話に入ってくる。

「連勤するとね、おくちが臭くなってくるよ~」
「そうそう、それからお腹の調子が悪くなってくる」

そばにいたぬいいとさん
それを聞いてドキッとした。

「あ、もしかして、あたしのこと?」

ちょうど6連勤、10連勤、6連勤とこなしていた時だった。
ダブルワークの上に臨時の助っ人ワーク
(ボランティアともいう)が入り自ら課したノルマもあって目一杯仕事をいれざるを得なかった。
加えて風邪のなごりがなかなかぬけずに喉やら鼻やらがすっきりしなかったり
軽く逆流性食道炎の症状が出てたりと、寝込むほどではないけど好調ではなかった。

先の上司も私に向けて言ったのではないとは思うのだが、たまたま私がその場に居合わせたのは必然だったのかもしれない。

「これは、天のお声やな?」
そう受け入れることにした。

職場・夢も職場・華も客商売である。
おくちが臭い状態では失礼にあたるよな。
お金も大事やけど、自重しよう。
休む勇気も大事だ。

ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★

「職場・夢メインで働き
 シフトの空いた日に
 職場・華で働く」

今の世の中ダブルワークは珍しくなく
雇う側、雇われる側も割り切っているんだろうが
私にはまだどこか後ろめたさを感じるところがある。
職場・夢で急に欠員が出ても9割方応じられないし
職場・華に至っては完全に「こちら側の勝手」である。

その心苦しさと、加えて体力的なことから
ダブルワーク解消も考えた。
メインである職場・夢の仕事を少しアップグレードすれば
毎月のノルマ達成も可能だ。

そんな折、職場・夢から電話が入る。

「ぬいいとさん、すっげぇヒマだから
 明日休んで♪(^人^;)」
「ハイハ~イ♪(^^)/了解なりなりぃ!」

その手で職場・華に電話する。

「急だけど、明日出勤していいっすかぁ?」
「ハイハ~イ♪(^^)/ 了解なりなりぃ!」

今月は職場・夢からお暇を出されることが多かっただけに職場・華の存在はありがたかった。

職場・華にはなんの不満も不足もない。
職場の方々も私の状況を理解して割り切ってくださっている。
ただ私が自分勝手に心苦しさを感じているだけだ。
せっかくの恵まれた状況を不必要な遠慮心で手離すのはMOTTAINAI。
よし、図々しくなろう。

そう、大事なのは職場が私を必要としてるか否かではなく
私が職場を必要としているか否かだ。

私が必要とする限り、

「はい♪ぬいいとさん、クビね。」

って言われるまで居座ろう。(^^)

一円のあんぱん

「 はいはい~♪おやつにしましょうかぁ?」

「 玉出の1円セールでゲットしたあんパンやで!」

「 ひとつのあんパンを4等分して分け合うって(笑) 」

「 私らって、なんて慎ましやかなんやろ~(笑) 」

「 糖質制限せなあかんからな、私らは
  これくらいでちょうどえぇねん 。」

「 そうそう、丸々1個は食べたらアカンあかん!(笑) 」

そう言って、父と義兄にも4分の1あんパンを手渡す。
ちょっと安めのボトルコーヒーをコップに注いで
わちゃわちゃ言いながらあんパンをチビリチビリ食べる
実姉 keshidma さんと私。
まだ私が実家の商売に携わっていた頃の話だ。

私は私生活に戻れば大きな贅沢さえしなければ
何不自由ない暮らしを送っていたが
生計を共にしていた父と姉夫婦の商い生活は
雨風しのぐ家と、支払い待ったなし状態のライフライン
そしてその日食べるだけの食費と明日の仕入れのための軍資金をかろうじて確保していたという状況だった。

早い話が「 その日暮らし 」である。

だがギリギリの生活だったけれど
1円あんパンで笑えたりと日々幸せを感じていた。
いや、其処此処にまばらに転がっている幸せの種を目ざとく見つけては拾って食べていた
といった方が正しいだろうか。

父が亡くなった今でもその商売を引き継いでいる姉夫婦の生活状況は変わっていない。

水光熱費が銀行引き落としされている。
倹約のために買った安売りの油や砂糖が
食材庫にたんまりある。
親しい友達に
「 夕方までに返すから一瞬千円 貸して。」
と言われたらその場でサッと貸せる。
何も贅沢してないけどひとつだけカルチャースクールに通っている。
いざというときはすぐに医者に行ける。
「 ないない 」といいながら多少のへそくりはある。

「 ウチ、お金ないねん。」
と言いながらも大概の方はこれぐらいのことは
クリアしてらっしゃるはず。
私のモノサシでは裕福な部類だ。

ただこれらすべてNGの keshidma さんでも
食う寝るところに住むところさえままならぬ方々からすれば
あんた恵まれてるで!って、言いたくなるんやろな。

まぁ、日本で暮らせていること自体が贅沢か。

お金のある、なしと、幸せの感じ方は別ものなんだな。
でも、「衣食足りて礼節を知る」も嘘じゃないんだな。

そういやその昔
一杯のかけそば
ってな話、ブレイクしたよな。
アラフィフ以上にしかワカラン話か。

職業癖

その昔、家に遊びに来た義妹K子ちゃんと
ホイル焼きを作っていた時のこと。

ふたりでワチャワチャとおしゃべりしながら
鶏肉、ベーコン、お野菜とつぎつぎアルミホイルに包んでいくうちに
ふと、K子ちゃんの手元と会話が止まった。

(・・;) ん?何か不具合でもあった?

「おねえさん、これって、食材の数
 キッチリ数えて切ってます?」

( ・◇・)?さようでございますが、何か?

「(;゜∀゜) お、おそるべし!」

きくところによると、フツーの主婦は家にあるもんテキトーに切って、最後に足りないもの多いものはテキトーに帳尻合わせて作るという。

かくいう私も超テキトーな主婦なので自分ではテキトーにやってたつもりなのだが。

「 人数に合わせて食材の数を
  数えながら調理作業をする。 」

20代前半の給食会社勤務で400人分の食事を作っていた頃の名残りである。
ちなみに、後ろ向いている間につまみ食いされてもすべてお見通しである。

ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★

先日次女・笑の大学卒業式に行ってきた時の事。
「 平成28年度 あーたら大学卒業式 」
の看板のところで卒業生の親子連れが次から次へと記念撮影していた。
よく見ると看板の横に卒業生を立たせ
親御さんがそれを撮影してそれで終わりって方が
結構いらっしゃった。
本当は親子での写真を誰かに撮って貰いたいところ、いろんな事情で遠慮があるのだ。

以前ならなんとも思わない光景だったが
今は無性にそばに駆け寄って声をかけたい衝動に駆られる。

「 お写真撮りましょうか? (^^) 」

職場・夢ではこういった場合必ずお声をかけるし
9割方「お願いします!」と応えが返ってくる。

だが看板の横にはかなりの方々が列を成してらっしゃる。
ひと声かければ最期、延々とシャッターをおし続ける羽目になる。
モヤモヤした気分で、後ろ髪を引かれる思いで、その場を離れる。

ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★

「スミマセン、シャッター押してもらえますか?」

笑のお友だちがカメラを託してきた。
学友数人でプチ集合写真を撮りたいとのこと。
(^^)/ お易いご用で!

「 笑、職場・夢モードでいくで 」

「 (笑)ドーゾ。」

とりあえず承諾を得る。

「両側の方、もう少し真ん中に
 寄っていただけますかぁ?
 はい~OKでぇす!
 本日はご卒業おめでとうございまぁす!
 ではスリーツーワンでいいお顔してくださいね~
 はい参りますよ~、スリーツーワン、ハイ!」

回りが振り向くくらい大きな声を出したいところをグッとこらえて、ちょっとテンション控え目にしといたった。

「 (ー_ー;) え?あれで控え目なん?」

そやで。(^皿^)

どうせやるなら回りもついでに巻き込まなくっちゃ~!
の、一歩手前で。

ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★

「 りん 」と入力すると変換候補の先頭に

<a href=゛゛></a>

が、上がってくるぬいいとさんのスマホ。
職業とまではまだまだいかないけど。

ヘマ

先日、職場でヘマやらかした。
両手にラーメンを持ったまんま
なんてこたぁないところでつまずいて
すっころんでしまった。
頭から見事にラーメンをぶっかぶり
辺りはラーメンの海と化した。
お昼のMax busy timeのことである。
(なぜかルー大柴化。)
ホールではなく、バックヤードでの出来事でよかった。
グツグツに煮えたぎった麻婆でなくて良かった。
それが不幸中の幸いだ。
それでも職場仲間の方々に多大な迷惑をかけたことと
全身油まみれになったことに心が折れそうになった。

「 ぬいいとさん、調子悪いの? 」

職場仲間が案じてくださる。
確かに、この日だけに限らずここ数か月股関節の状態が思わしくない。
もともと数年前からずっと抱えていた軽い持病だが
歳を重ねるごとに不安要素がふえてきている。
何もないところでつまずいたり
重いものを持った日には歩くのも辛かったり
知らぬ間に前屈みになって歩いていたり。

帰りの電車の中、昼間の出来事を引きずったまま
茫然自失の中でふと思った。

「 これって、もしかして魔?壁?

゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜・:,。゜・:,。★゜

今、私はタブルワークをしている。
両職場とも名を明かせないので仮に
「 職場・夢 」と「 職場・華 」
としてお話すると
職場・夢でシフト制で働き
そのシフトの空いた日に職場・華で働く
というとても恵まれた環境だ。

ダブルワーク生活も軌道に乗り、収入に目処がたってきたので
思い切って父の時代からのちょっとまとまった負債を
請け負うことにした。
扶養控除範囲内で働いても年内で充分返済可能な額だ。

思いつきではなく、それなりの覚悟をもって決めたこと。
あとはすくなくとも年内は病気やケガなく
周りに大きな状況変化がないことを願うのみだ。

そう決めたあとに訪れた、先の職場・華でのヘマ。
何かの魔もしくは壁だとしたら

「 ぬいいとさん、ほんまに、ほんまに
 ホンマに大丈夫なん? 」

と、きっと私の覚悟を再確認するための出来事やったんやろな
ってな気がしてきた。

゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆゜・:,。゜・:,。★゜

某女史の
「 調子が悪いんだったらちゃんと診てもらって
 必要な治療しなきゃ。」
というアドバイスを素直に聞いて
「 たぶん前に行った時と同じこと言われるやろな。」
と思い込んで、数年訪れなかった整形外科へ行ってみる。

「 いまのところ、治療法は運動しかないね。」

(((^_^;) やっぱり。そう言われると思った。
前向きにとらえれば、運動していけばまだ現状維持は可能ということなんだけど。
ただ以前よりも股関節の軟骨が減ってきていること
重い荷物を持たないこと
走ることも今の状態ではのぞましくないこと
教えられた運動をサボらず続けて行くこと
などなど、黄色信号が点灯していることを
再確認した。

「 今、仕事行くときにひと駅歩いてるんですけど
 帰り道が辛くて。」

「 それは今やるべき運動じゃないってことやね。」

(((^_^;) そ、そうでしたか。

整形外科に行って病状がはっきりしたと同時に
「 覚悟 」だけでオーライだと思っていた自分に
欠けていることを認識させられた。
それは「 自覚と自重 」。
正しく鍛えて、身の程をわきまえて。

とことん寝る

「 ぬいいとさんやーい!ヤッホー 」

早めの夜のグループlineにもかかわらず既読さえしない私に様子伺いしてくれた友。

「 ごめん、2日連続で9時に寝てました。」

二夜にわたる失礼を3日目の朝に謝罪。

「1日の、3分の1以上眠ってるー
 冬眠入ったか??」

「 バイト、大変なのでは?」

ありがたき友のお心遣い。(ー人ー)

大昔から晩ごはんを食べ終わった頃になると、無性に眠くなる質だった。
それを越すとあとは少々の夜更かしでも大丈夫なのだが
それを越せずにそのまま床につくことが五十路を迎えた頃から徐々に増えてきた。
日々のルーティン以外何もできずに寝てしまうことに一時ジレンマを感じた。
眠ることに罪悪感を感じたりもした。
このまま私は腐っていくのかとも。

そんな頃に同年代の友達の会話でこんな言葉を良く聞くようになった。

「最近眠れない。」

理由はいろいろだが、主に多かったのが
「4~5時間で目が覚めてあとは眠れない」
「介護で眠れない」
である。

「眠るのって、体力いるねんで。
 だから年寄りは早起きやし
 若い子はいくらでも寝てるやろ?」

そうか、体力があるから寝れるんや。

加えてここ数年は確かに父の介護で大変だったが
夜中は近くに住む姉が看ていてくれたので
こころおきなく眠らせてもらうことができた。

ある日ふと気づいた。

「 眠れるって、この上ない贅沢なんや。」

思うようなことができない生活状況で
今にしてみれば「 うつの一歩手前 」だったが
眠ることを
「 最高の贅沢 」
「 私にとって必要不可欠なこと 」
「 眠れるのは体力がある証拠 」
と、前向きにとらえたことで一気に心の霧が晴れた。
以来、積極的に寝ることにした。

「(そんな状態で)家庭も大丈夫なん?
 家族からはクレームでてない?」

大丈夫、だんなさんも9時には寝てる(笑)。
こどもたちももう大人だ。
主人の実家の両親も健在である。
今はこころおきなく眠れる貴重な感謝すべき時期だと勝手にとらえている。
これで早起きできれば御の字なのだが、さて?

未だに日々のルーティン以外何もできてないという情けない状況ではあるが
それは私が寝すぎてるからではなく
物事ちゃっちゃとしないからである
ということもわかっている。
なかなか直れへんけど。

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