2024年12月23日(月) 03:47 JST

なんでソコなん?!

(「就活」よりつづき)

漠然と右脳の赴くがままに行動していた中で
自分の中でふたつだけ、ハッキリとした
「理由」と「イメージ」があった。

ひとつは「今しかない」という理由。
自分の親を看取り、一旦は身軽になったわけだが
いつまた主人の両親の介護が始まるやもしれない。
ありがたいことに両親はまだ健在、である。
みっちり仕事が出来るのは今しかない。

また、少しシビアな話であるが
今、私達家族が住んでいる家は抵当に入っていて
銀行が「早く売ってくれ」とうるさく言ってきている。
この家を相続した姉はギリギリまで粘るつもりだが
いつどうなるかはわからない。
今なら通勤だけで小一時間、これ以上遠くなると
かなりキツイものがある。
通えるのはこの家に住んでいる今しかない。

決して良い条件の仕事じゃないけれど
それを理由にしてソコを仕事の選択肢から外すのは
もったいない気がした。
なんやかや言うてもネームバリューだけは
スゴい職場だ。

「後悔したくなかったからです。」
面接官にはそれしかいえなかったけど。
ツッコミもなかったからそれ以上は語らなかったけど。

そしてもうひとつは
「もし、遠方から友がきたら
 大阪を楽しんでもらえるよう
 案内したい。」
という私の中のイメージ。
もしその時にそのテーマパークに行きたい!
と言われた場合、1日や2日の下見では
そのテーマパークの楽しさは掌握できない。
ハマる人が大勢いる中、私のように
楽しめずに帰って行かれる方も実は少なくない。
結構お高い入場料を払っているにも関わらず、である。

初めてでも、1回キリでも、きっと楽しめる術があるはず。
年パス買って通うとか、ネットでググりまくるとか
方法は他にもいろいろあるけども
なんだかんだで「ソコで働く」という形で
私の中でのイメージを具象化することになった。

あとは、右脳の中のなんだかわからない
「なんだかんだ」が、後に次々と明らかになってくる。

(まだまだつづく)

就活

(「なぜか気になる職場」よりつづき)

まずは登録説明会への参加申し込み。
募集サイトから申し込むと早速メールで自動返信がある。
今はなんでもデジタルだすな。
ん?申し込みは通ってるのに説明会の案内がない。
いつ、どこへ行きゃええねん?
てなことで、お問い合わせ先に直接電話をする。
肝心なところはまだまだやっぱりアナログだ。

聞けば中高年、主婦向け説明会は定員オーバー
同じ日に条件フリーの説明会があるので
そちらでいかがですかときた。
フリーてか、なんやそれ?まぁなんでもえぇわ。
流れに任せて行くことにした。

説明会に行くと、いきなり身分証明書の
写真撮影から始まった。
え?あたしまだ応募するともなんとも言うてへんし!
まぁええか。(こればっかし)
え?なに?説明会参加者全員に
ミニヨンのボールペンくれるって?
ラッキー♪^^ミニヨン大好きな雪にあ~げよっと♪

1時間ほどの会社説明のあとに選考があるけども
応募を見送る方はそこで帰っていただいて結構!
とのこと。
なるほど、了解なりなりぃ♪( ̄▽ ̄)ゞ

合間をぬって規定のエントリーシートを書く。

御歳53歳。
主婦。
栄養士、調理師免許所持。
接客業20年勤務。
本当は「40年」と書きたいところやったけど
ハッタリと判断されては困るので
半分の20年にしといてやった。

勤務シフトの希望
10時~16時、平日のみで 週3日前後。
時給も職種も拘りはなかったが
シフトだけは譲れなかった。
サービス業でこんな希望、とんでもないやつだ。
ま、ダメもとダメもと♪

説明会が終わり、選考が始まる。
「人数が多いので、最後の方は
2時間くらいかかるかもしれません。」
え?困る!お昼から彼女とランチの約束してるのに!
今回は見送ってちゃっちゃと帰ろうか?
ま、でもギリギリまで待ってみよう。
と思うやいなや、いきなり呼ばれた。
「あ」から始まる名字、最強である。

面接ではエントリーシートに書いてあることの確認や
書いてないことへの簡単な聞き取りが主だったが
最後に
「なぜここで働こうと思ったのですか」
と尋ねられて言葉が詰まってしまった。
まさか、右脳の赴くままに、とは言えない(笑)。
しばし息を呑んだ後に私の口から
とっさに出てきた言葉は

「後悔したくなかったからです。(* ̄ー ̄)」

的外れで突拍子もない応えに面接官は
それ以上突っ込むでもなく、嘲笑するでもなく
「あ、そうですか(^^)」
と軽く流してくれた。
ありがとう。

直後に面接官が変わった。
のちにそれは2次審査だと知る。

「土日は入れないんですか?」
「この時間より早くは入れないんですか?」
「これ以上遅くは残れないんですか?」
「重いものは持てないとのことですが
大丈夫ですか?」

譲れるべきところ、そうでないところを
ひと通りやり取りした。
その後、面接官が少し席を外し、また別室から戻ってきた。

「じゃ、ぬいいとさん、採用いたします。」

?!(・◇・;) ? へっ?もう?
エントリーシートにワガママ放題書いておいて
ヨカッタ。(^ー^;A
それより裏方?まさかホール?
まぁどっちでもやるけど。

かくして、右脳の赴くがままに
流れに任せて動いた結果
以前遊びにいったけれども一度行けばもういいかな?
と思っていたテーマパークで働くことになった。
(まだつづく)

なぜか気になる職場

(「お仕事しなきゃ♪」よりつづき)

目に入ったのは某テーマパークの募集サイト。
最初はスルーしていたが妙に私の右脳をチョンチョンと突っついてくる。
よくよく見れば、中高年・主婦向けの登録説明会もある。
まぁ若向きテーマパークでも裏方仕事なら
主婦でもシルバーでも沢山あるわな。

時給はどうなんやろう?
募集サイトには載っていないが、ググればわかる。
ほうほう、法定最低賃金か?
自宅からは電車に揺られて小一時間弱
遊びに行くには近いけど、働くとなると早めのインなので
下手すると1時間半はかかる。
最低賃金の仕事なら自宅近くにわんさと存在するし
わざわざそこまで行かなくても、があるよな。

シフトも融通効くみたいやけど
こればかりは入ってみないとわからない。
かなり年中募集してるみたいだし、慌てる必要もない。
せやけどなぁ、なんか気になる。
左脳では完全に拒否ってるのに
なんやろ?この右脳での引っ掛かりは。

「まずは登録説明会へお気軽にお越しください。」

ま、まずはお気軽に行ってみるか。(^^)

(まだつづく)

お仕事しなきゃ♪

さて、父の生前と没後のお話は綴り出すときりがないので
一旦置いて、「今」のお話をいたしますね。
父の思い出話はまた合間に追々と。(^^)

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さて、昨年末より父の介護や
亡くなってからの残務整理で
シフトが組めない状況だったこともあり
日雇いバイトで日銭を稼ぐ日々を送らざるを得なくなった。
それでもありがたいことに好条件のバイト先で
ほぼ希望通りに月の半分くらい働かせてもらっていたのだが
夏も終わりに近づいた頃になかなかこちらの希望が
通らなくなり、極端に勤務が減ってきた。

派遣先の職場の状況を鑑みて次の一手を考えねばと判断。
シフト制のところでも全然問題ない体となったが
それでもまだ父の遺品整理やその他モロモロで
一週間フルでは働けない。
それにせっかく断腸の思いまでして手に入れたこの生活
旦那さんと同じオフ日をもう年に片手、あるかないかの日
とはしたくないので
土日の休みは確保したい。
あ~、そうなるとサービス業は無理やな。
やっぱり日雇い派遣のバイトで働こう。
フルタイムの日雇い派遣を週3くらいで入れようか
それとも短時間バイトをバンバン入れていこうか
あれやこれやと考えていたところにとある職場の
募集サイトが目に留まった。
ゆにばでびゅ〜♪した日に何かをググってる最中のことだった。
(つづく)

無意識の思いやり

「 医師の診断をオオカミ少年の声に例えるのは
  余りにも可哀想だと思いますが (⌒‐⌒) 」

と、メール愛人からやんわりとご忠告を賜りました
ぬいいとさんです。

確かに。
現実的な、的確な、客観的な診断に対して
失礼な表現だったかもしれません。
悪意は無かったのですが。
私が著名人なら炎上モノだったかも?です。
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父は今年に入って要介護5となってから
この5月に亡くなるまで、俯瞰でみると
徐々に下降線を辿っていった形なのであるが
その日々は決して希望のないなだらかな下り坂ではなく
希望の上り坂が訪れては、悟りの下り坂がやってくる
といった感じで日々が過ぎていったという状況だった。

越年できないかと思わせるくらいに衰弱していたのが
介護体制を整えたことによって
座った姿勢で
一杯のうどんを自力で食べられるまで回復したり。

「この調子ならお風呂が入れるようになるかも?」
と、ヘルパーさんと期待していたらまた徐々に
食欲がなくなったり。

入院してからも最初は意識なく
ただ眠っていただけだったのが
そのうちにプリンやヨーグルトを食べるまでになって
まだまだ頑張れるんじゃないかと期待したり。

下り坂を現実として受け入れつつも時折訪れる
小さな上り坂に一喜一憂することでまわりも救われた。
お世話になったケアマネさんによると
終末を迎えるまでに幾度か訪れるこの
「希望の小さな上り坂」
は、どんな方にもよくよくあることだそうだ。

生きたいという「欲望」
身内に心配をかけまいとする「愛」
死ぬ前にそんなことまで考えているのかどうかは
死んだことがないのでわからないけど。
ただ、もしそんなことまで考えていなかったとしても
「無意識の思いやり」みたいなものが本能的に
人間には備わっているのかもしれないと感じた。

父が亡くなったのは「火曜日」
父が築きあげたお店の定休日だった。
仕込んだ食材が無駄にならないように
日々の支払いが滞らないように
そんな無意識の思いやりがあったかもしれない。

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