2024年12月24日(火) 11:23 JST

ゴーストライター

このぬいいとさん、実はゴーストライターをしている。

「え?何々?誰の?どんな?」

そこはゴーストライターなのでナイショ♪^^

何か大きなプロジェクトに関わっていたり、膨大な報酬があるわけでもない。
こどもの夏休みの宿題を手伝うのと同じレベル、もしくはそれ以下の作業である。
なので後に新垣隆氏みたく大勢の人の前で記者会見することもないのでご安心を。

日々生活していると、時として自分の苦手なことを課せられる時がある。

「 自分が気乗りしないことをやりとげようとすることは
  後々、とても大きな力となります。」

は、イチロー語録の中の私が好きな言葉だが、10代20代の若者ならともかく、五十路も半ばを過ぎると自分の気力も体力も吟味して遣わないと本来の目的を見失いかねない。
てなことで綴ることが苦でない私が、綴りが苦手で困っている同士を助けることにした。

「ぬいいとさん、甘やかしたらあかんやん!」

その人の成長の妨げになることなら、もしくは著作権が関わるようなものなら手は貸さないんだけどね。
自らが苦手とする分野に長けた人物と繋がりを持ち、いざというときは力を借りる、ということもその人の能力のひとつである。
何もかも自分でするだけが能じゃない。

だが私が自ら買って出たこととはいえ、なんらかの見返りがないと次はないかな?と思ってしまうのも正直な気持ちだ。

そんなこんなを綴っていたら既述の同士からメールが来た。

「ありがとう」

報酬はその言葉だけで十分である。

あれは確か私が22の夏のこと。

学生時代に私の実家の食堂でバイトをしていたペコちゃんが、卒業後にふらりと若男子ふたりを連れてやってきた。

ひとりは今の私の旦那さん。
そしてそのとなりにいたのが「彼」だった。

「やぁ、ペコちゃん!どないしたん?」

「海に行ってきて、その帰りやねん。」

ペコちゃん含め、3人は同い年で私よりひとつ年下だった。
四人掛けの席でそばをすすりながら
(実は何を食べていたかは覚えていないが、たぶん旦那さんはそばを食べてたに違いない。)
「はじめまして」
「あ、どうも」
と、当たり障りのない会話をしてその日はおひらきとなった。

その後、旦那さんとはその二、三年後に付き合うことになり、「彼」ともその時再会した。

あ、いや、まてよ?
一回最初に出会った四人で飲み会があったな。
あの時は、アタシ呑みすぎてブッ潰れたな。
どえらい醜態さらしたのだけれど、それをここで話すと

「そんな恥ずかしいこと書くな!」

と、旦那さんに怒られて家追い出されるので、ここではカット。
聞きたい人は直接ぬいいとさんまで(笑)。

それで久々に再会した「彼」の横には後に嫁となる「彼女」がいた。
「彼」「彼女」そして旦那さんは同じ高校の同級生だ。
いいこと悪いこと、よく知った仲間だ。

その後お互いに結婚し、子どもも生まれ、ちょくちょくコンタクト取りぃの、家族ぐるみで会いぃのといった付き合いが続いた。

月日は流れ、お互いにいそがしい年頃となり、会う回数は減ったものの、気持ちの上では、特に旦那さんにとっては大事な存在だった。

10年程前だろうか、双方の子どもを連れて魚釣りにいった。
ひさびさの集まりだった。
アウトドアレジャー皆無の我が家に釣りが趣味という「彼」がアレコレ手解きしてくれる。
高校の時に「彼」は旦那さんにパチンコを手解きしてくれ、以来「パチンコのおっしょはん」と呼んでいたが、今度は「釣りのおっしょはん」となった。
(本当はパチンコ18歳未満ペケなのだが、そこは昭和の時代である。)

聞けばしばらく会わないうちにいろんな趣味に「彼」は興じていた。
釣りに盆栽、将棋もやったるかな?

「釣りやって、盆栽いじって、パチンコやって、ご主人、老後が楽しみにでんなぁ!(笑)」

そんな言葉をかけたぬいいとさんだった。

―――――――――――――

そんな「彼」が老後を迎えることなく逝ってしまった。
五年も闘病していたのにそんな陰すら見せなかった。
周囲への口止めは「彼」の頑ななまでの希望だった。
亡くなる二週間前に旦那さんが「彼」に逢うことができたのがせめてもの慰めか。
ギリギリのタイミングで教えてくれた「彼女」とそれを後押ししたペコちゃんに感謝。

合掌。

無意識

「ぬいいとさぁん!レジ打ち間違ってましたよ!」
レジチェックの上司からご指摘をうけた。

え?いつ?どこで?
全く身に覚えがない。
完全にミスしたとわかった時はもちろん、身に覚えがない時も100%の自信がない時はとりあえずは謝ると決めている。
で、一旦は謝ったのだが、しかしどうも腑に落ちない。
指摘された間違いは私が最も入念にチェックしている作業「Gペイ対応」だ。

「本当に私ですか?」

一度は謝ったものの、そのあと思わず口から出てしまった。
確かに問題のレシートには私の「足あと」がついている。
それでも納得いかない。
全然違う場所にある「あのキー」と「このキー」を押し間違えるなんて考えられない。

「お茶交代の時じゃないですか?」

ほんの数十秒バックヤードで水分補給する間、代わりにレジに入った人が間違ったのでは?と思い、
珍しく食ってかかってしまった。

「お昼のそんな時間にお茶交代しないですよ。慣れてきて流れ作業になるとミスが出てくるから気をつけて。」

と、上司。
確かに、ごもっともである。
客観的にみて私の落ち度は明らかなことは頭ではわかっているのに、しかし心はまだ納得していない。

冷静にふりかえってみる。
何度かお茶交代があったが、そういえば私が帰ってきた時に代理の人が「Gペイ対応」してた記憶が私にはないな。

今一度レジのキーボードの並びを見直してみる。

「(・_・) ・・・・・あっ。」

「Gペイ対応」の際、「このキー」を押す前に押す「そのキー」の真上に「あのキー」があることに気づいた。
(なんのこっちゃわからん、てか?笑)

「(>_<)はぁ、やっぱりわたしかも。」

ようやく悟った。
同時に、無意識とはいえお茶交代の仲間に一瞬でも濡れ衣を着せてしまった自分が怖いと思った。
(|| ゜Д゜) お~こわ、怖いコワイ。
かくして、やっと心から謝ることができた。

今度からはたった数十秒でも「足あと」のオンオフはこまめにしようと心した。
自分の失敗を罪のない仲間になすりつけないためにも。

――――――――――――

無意識の行動でミスを犯しているのが傍目に見て明らかなのに、それを頑なに認めない人を結構みてきている。
特にそれは不慣れな新人さんや年配の方に比較的多く見られる。

自分ではなかなか気づけないので指摘があったときは九割自信があっても1あやふやなときは省みる、を心していたが、それでもまだまだこんなこともある、といったお話。

「ぬいいとさぁん、ここにこんなもの捨てたらダメですよ!」

(;^^) あ、悪いけどそれはアタシじゃない。
そうそう、120%自信があるときはちゃんと言わなくちゃね。

トライじゃ!!

ママ友の飲み会にて。

タケちゃんママ(山ピーママやったかな?)がエエこと言ってた。
以下、うろ覚えだけど全文。
――――――――――――――
やりたいことがいくつもあるときは、優先順位をつけて上からやっていくのではなく、とりあえず全部やってみること。
なぜなら優先順位の上からやっていくと、順位の最後の方のことができなくなるから。
すべてをまんべんなくやるのではなく、度合の濃淡をつけてでもいいからとにかく全部やってみること。
――――――――――――――
(  ̄~ ̄) なるほど。

人それぞれなので、100%鵜呑みにして皆さんに強要するつもりはないが、これもひとつの方法だなぁと思った。

ぬいいとさんも五十路も半ばを過ぎ、そうそうやみくもになんでもかんでもできない年頃である。
ただ、今の私は、氏が変わって以来一番フリーダムであるといってもいい状況だ。
そしてそのフリーダムもまたいつ状況が変わるかわからない。

要するに今のアタシは「今でしょ!」なのである。

あーでもない、こーでもない、と思案せずママ友の格言通り、ぬいいとさんお得意の
「右脳の赴くがままに動く」
に、拍車をかけることにした。

まずは前述のおーでぃしょん
結果は見事に不合格だったが、まずは受けること自体が目的だったのでそれはそれでクリア。

不合格となったために予定に「空き」ができたので、やろうかどうしようか保留にしていたことを進めることにした。

「今はあんまりやりたいと思わないけど、ふまえておいた方がよいと思われる講習会」
なんじゃそら、ですな。
またお話聞いて(読んで)やってくださいな。

「挑戦すること」とは、何かを成し遂げるための行動であるだけではなく、時として何かを取捨選択する手段にも成りうるんだな。
新しい発見だ。

おーでぃしょん

先日とある選考会にいってきた。

「おっ気がぁるに♪」

と言う言葉を真に受けて説明会に参加し、ただ右脳の赴くがままにエントリーした。
なんだか今の職場・夢に就職したときとほぼ同じだ。

エントリー理由は、ただ漠然と
「今挑戦しなければ後悔する。」
相変わらずええかげんな理由だ。

そう思って挑戦を決めたのだが、後に選考会の課題が手元に届いた時に、マジでエントリーしたことを後悔した。

「やたらと長い文章を丸暗記する。」

ぬいいとさんの最も苦手とする類いのものだ。
しかし逃げ出すわけにはいかない。
(´・ω・`) やらなしゃ~ない。

まるで橋田壽賀子の脚本に出てくるようなややこしいダダ長いセリフと格闘する毎日がその後続く。

「マジで無理。(/ー ー)/」
で、始まった一日目。
それでも幸い選考会まで二週間あった。
なんとかなるやろうと気を取り直してとにかく暗記あんきアンキ。

脳みその中の普段使わない領域を使ったからだろうか、三日目には軽く頭痛に見舞われた。

そしてあれよあれよと二週間。

・・・なんとかなるもんである。
本番は少々カミカミで、肝心なところで引っ掛かってしまったが、コレだけは押さえておこうと自分なりに思ったところはなんとかなった。

なにより、さっき言われたことさえ忘れる私が、八桁の数字を覚えるのでさえ危うい私が、二週間かかったとはいえあれだけ長い文章を覚えることがまだできるとわかったことが、大きな収穫だった。

結果は明日わかるのだけれど、私にとってはもうこの選考会を受けたことだけで満足、受けておいて本当に良かったと思っている。
どちらに転んでも悔いはない。

そして、どちらに転んでも次に進むだけだ。

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