2025年11月 8日(土) 04:17 JST

作ること、食べること

笑とぬいいとさんの会話

笑「( 同級生の )Aさんちな、昨日の晩ご飯、食パンやて。」
ぬ「 ん?食パンと何?」
笑「 食パンだけ。」
ぬ「 お母さんが夜は仕事やったとか?」
笑「 いんや、寝てたらしい。」
ぬ「 調子悪かったんかなぁ?」
笑「 そうでもないみたい。
   このあいだは『ごはんだけ』やったらしい。」
ぬ「 え~っ!?( ̄○ ̄;)
   …まぁ、いろんなオカンおるからなぁ。
   で、その子は自分で玉子焼くとかせぇへんの?」
笑「 あ~、たぶんせぇへん。そんなタイプじゃない。」
ぬ「 そぉかぁ。基本形( 母 )がそれやったら
   当然子どももそうなってくるわなぁ。」

お料理ができない乙女はゴマンといる。
ただ、その中でも自分では全くせずとも
親御さんが毎日、いや、時々でも作って食べさせている場合は
さほど案ずるほどのことでもないと私は思っている。
「 作ること 」が身についてなくても
「 食べること 」が身についていれば
必要に迫られればどうにかなるからだ。

深刻なのは、食べることさえ身についていないケース。
確かにパンや米だけ食ってても死にゃあせんけど…。

おっかた~づけぇ~♪

このサイトの右にも左にもある掃除なんか大嫌いだ!という別サイトなんですが
もうひと月近く更新が滞ってるんですがね
実は、滞ってる間に近年にないくらい家内の整理が進んでます。
特に旦那がオフの日の朝、私の出勤前1時間の整理速度は
これまたすさまじいものがありましてね
あっちゅうまにゴミ袋の山ができ、ご近所さんから
「 ん?ぬいいとさんち、もしかしてお引越し? 」
なんてウワサが立つほどです。
え?掃除はって?
ん~、あいかわらず知らない間に綺麗になっているところがチラホラ。^^;;;
トイレとレンジ磨きは私がやってます。(ナイ胸張るな!)
で、今日はほんとぉ~に久々のなんの予定もノルマもないオフで
朝から意気込んで整理し始めたのはいいのですが
下の写真のようなたったこれだけの棚を片付けるのに数時間・・・
( 以下、画像をクリックすると原寸大で出てきます。 )

やっぱり私ひとりではあきませんね、脱線しまくりです。^^;;;;
捨てかけた本を読み直してははまりぃの
幼いころの写真が出てきたといっちゃ~思い出にふけり~の。
それでも以前からまとめ切れなかった保険の証書類をすっきりさせたり
読まない本はこの際潔くお釈迦にしたりと
あれよあれよという間にごらんのような状態に。

まぁでもよくこんだけ溜め込んでいたものだわ。

整理してるといろいろうれしいこと、再発見することってありますね。
これは、中島みゆきさんから毎年2月に贈られてくるバースデーカード。

いや、事務所の人がやってるなんてことは百も承知なんですけどね。(笑)
それでも毎年忘れず贈られてくるなんて感謝物です。
(年会費払ってるんだから当たり前といわれればそれまでだけど、いいもぉん。)
いつも送られてきては「 きゃ~!」とその時はよろこぶものの
また封筒に戻して引き出しへ・・・
という生活が気づけばもう11年になっていました。
封筒を破棄し、記念撮影をしてからカードケースの中へ。

それから、こんなポストカードが出てきました。
1990年夏の暑中見舞い。

このときは確かお腹に雪がいたよな。
嫁に行くとき実家に置いてきたみどりガメを
「どないすんねぇん!?」
と、母いとさんに迫られてこんな暑中見舞いをつくったといういきさつが
あったような、なかったような・・・。
picasaアルバムに入れとかなくっちゃ。

これは雪を産んだ年に描いたもの

なにかの挨拶状なんですが、いつ、何のために、誰に渡すために
作った挨拶状なのか全く記憶にないんですが
この挨拶状といい、先ほどの暑中見舞いといい
このころの私にあって、今の私がなくしかけているものが
このふたつに存在していることに気づかされました。
めっちゃラフに描いたイラストやけど、今見ても面白い。(少なくとも私は)
当時描いていた自分はもっと面白がっていたんだろうなぁ。
もう描いたときの記憶なんて全くなくなってるけど。

歴代の過去の挨拶状や描いてきたもの全てにいえることなんですが
手段を選ばず、周りの反応なんてお構いなしに
ただ、自分が面白いと思ったものを形にしていた私が
そこにあります。
全部載せててはキリがないのではしょりますが
「こんなもん、よく名刺代わりに渡してたなぁ」
なんて今にして思えば赤面モノの手描きチラシもありましたよwww。
でもね、そのころはそんなことお構いなしにそれを発信してました。
話が逸れますが、私がUMEYOT'Sの手描きフライヤーに惹かれるのも
そこなんです。

手段を選びすぎて前に進めていないのかも?
今日の整理、結局見た目は「 どこ片付けたん??? 」
ってな状態やけど、中身はすっきり、保険もスッキリ
そして・・・私なりにかなりの学びがありました。
あ、ばんごはんしなくちゃ。ではでは!

病に倒れて学んだこと

いつだったか、どこかの生命保険会社が
「 病に倒れて学んだこと 」
だかなんだかそんな感じのお題目で
一般からエッセイを募っていました。
「 私だったらこういう風に書くな~ 」
と頭の中でいろいろ妄想してみましたが
考えがまとまるにつれ
「 ん?コレって、主催者ウケしない内容かも?」
ってなくらい冷たいものになってしまって
ハタと筆が止まってしまいました。
その後、忙しさに紛れて形にすることなく
今日まできてしまいましたが…
「 Y太・出産ドラマ 」を書いているうちに
ちょっとまとめてみたくなったので
ここで、ひとりコンテスト。
………………………………………………
私にとっての
「病に倒れてまなんだこと」
それは
「 本当の辛さは所詮自分にしかわからない。
  結局自分を守れるのは自分だ。
  ただ、そのためには何もかも自分で背負い込むのではなく
  人に助けを求め、甘える心をもつことも必要である。
  そしてそのためにはちょっと図々しいかなぁと思うくらい
 『 自分 』を発信することが必要だ。
  何もせずに人にわかってもらえないことを嘆いたり
  人から手をさしのべられるのを
  どこかで待つ自分があるとすれば
  それは甘え以外のなにものでもない。」
ということです。

物心ついたときから
成人して世の中に繰り出して社会生活を送るまで
いやもしかしたら育児をしていたごく最近まで、私には
「 自分の体の不調を訴えること 」
にどこか臆病なところがありました。

「 これぐらいはみんなしんどいんだから
  私も我慢しなくちゃ 」
だとか

「 そんなことぐらいで医者にいくの?
  っていわれそうだから市販薬や自然治癒力頼みで
  もうちょっと自力で頑張ってみよう。」
だとか

仕事中に
「 もう、限界!立ってられないくらいしんどい!」
と頭抱えて座り込むくらい熱が出てるのに
「 熱があるようなので帰らせてください。」
の一言が言い出せず見かねた上司が帰宅を促すまで
心のどこかでそれを待っていたり。

「 医者行くヒマないけど、『休みます』とは言いづらい。」
と、健康診断やちょっとした体の不具合はスルーしたり。

根本には「 他人の目を必要以上に気にする自分 」
がありました。
自分というものがない、あかんたれですね。
また「 我慢することが美徳だ 」
みたいな意識がどこかにあったんでしょうね。
これは「 体育会系の弊害 」でしょうか?(笑)
いや、幼いときから根付いてたからそうともいえないな。

そんな私の意識を変えてくれたのが
「 入院生活 」と「 退院後のまわりの対応 」です。
出産で3度入院した以外は
二十歳に勤め先で階段踏み外して尾骨骨折し
1週間入院したあとすぐに職場復帰したときと
もうひとつは、3人目を妊娠中に卵巣膿腫を患い
お腹に我が子を宿したまま手術したとき。

座ってるだけでもけっこう疲れる状態なのに
それがわからず談話室で延々としゃべり続ける見舞い客。

労いや心配の言葉はあるけれど
身を制してまで術後の無理を止めてくれるひとは
そうそういないという現実。

ひきつる傷跡をガマンしながら拭き掃除してても
周りはわからない。

「 今、職場に迷惑かけられない 」
と無理を押して職場復帰しても
後々現れる後遺症のことまで会社や職場仲間は
面倒みてくれない。

「 これ以上症状をこじらせて
  みんなに迷惑かけてはいけない 」
と、退院後のんびり生活していると
さもお気楽そうにと中傷される。

忙しさにかまけて医者に行かず
後々取り返しのつかない失敗をしでかしたり…。

誤解のないように言っておきたいことは、私は
「 所詮世の中なんて冷たいもの 」
と、周りを責めているのではないということです。

いくつか「冷たい」と思われる仕打ちをうけましたが
本当はそれは冷たいのではなくあたりまえな反応で
その多くは「 経験がないからわからない 」ので
反応しようがないんだ、ということに
後々になってきづきました。

もし、当時自分に
「 痛いからできない!」
とひとこと言える潔さだとか
「 こじれたら悪いから今のうちに休む!」
と誤解を生む前に根回しする知恵とか
「まわりのみんなに理解をもらって気持ちよく休みたい」
なんて自分が傷つくのを恐れることを捨て去る勇気だとか
「 上司はあんなこと言ってるけど
  絶対オーバーワークになる!」
という適切な予測と行動ができる判断力とかが
自分に備わっていれば、そして遠慮なく言えていれば
周りも案外すんなり理解してくれたり
自分が思うほど難色示すことはなかったでしょう。
また私も不必要に周りを責めることはなかったと思います。

「 なにもいわず黙ってことをなす 」
ということも、とてもスマートでかっこいいことです。
ただ、時には図々しく「 自分発信すること 」も
生きていくうえでは必要であると思います。

今一度。
「 本当の辛さは所詮自分にしかわからない。
  結局自分を守れるのは自分だ。
  ただ、そのためには何もかも自分で背負い込むのではなく
  人に助けを求め、甘える心をもつことも必要である。
  そしてそのためにはちょっと図々しいかなぁと思うくらい
  『 自分 』を発信することが必要だ。
  何もせずに人にわかってもらえないことを嘆いたり
  人から手をさしのべられるのをどこかで待つ自分があるとすれば
  それは甘え以外のなにものでもない。」

コレは病に倒れたときにだけ言えることではなく
生きていくうえでいつも言えることだということに
いまさらながら気づく私です。

Y太・出産ドラマ①(アクシデント編)

雪・出産ドラマ
笑・出産ドラマ
を綴ったあとで、すぐにY太の出産ドラマも書きだしたのだが
別に旬がないネタなので合間を見てほんとにちょっとずつ
のんびり書いていたら気づけば1年以上が経っていた。
遅くなった分、長々と2編に分けてお披露目。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妊娠初期は精神的にも身体的にも不安定だった。
あまり事細かに書くのも考えモノ的な内容なので
ここでは省略。

それでもなんとか無理やり平穏な状態にもっていって
ちょっと落ち着いたかなぁといった妊娠中期に入ったころ
先生からとんでもないことを宣告される。

「 手術をします。」

( ̄□ ̄;)!!え~~~~~~~!!
私にとっては寝耳に水だったが
先生側ではずっと念頭にあった症状だったようだ。

病名は「 卵巣膿腫 」。
子宮の両側にある卵巣が何らかの原因で腫れる病気。
正常な卵巣の大きさは親指第一関節くらいなのだが
その卵巣の片方がテニスボールくらいに腫れていた。
妊娠初期にはよくあることらしく、普通なら月を増すごとに
その腫れが治まるので先生もずっと様子をみていた
というのだが、それが治まらないまま妊娠中期に突入。
このままでは茎捻転起こして救急車モノになったり
出産時に破裂したりといったリスクが発生する。
「 え、そんなに痛くないし 」
だとか
( 正確には当時ずっと感じていた痛さが
 「 尋常な痛さじゃない 」ということを
  本人がそうであると自覚していなかっただけ
  というのを後々認識する。 )
「 薬で散らしたりはできないの?」
だとか、先生の前で悪あがきをしたが
「 内診であれだけギャーギャー痛がってるのは
  尋常ではない。 」
とか
「 安全にお産するための手術だから 」
という先生の説得にようやくぬいいとさんも観念した。
………………………………………………
体にメスを入れるのは初めてだった。
手術台の上で生まれたままの姿で大の字になる。
「 まな板の上の鯉 」とは正にこのことだなぁと
心の中で変に納得する。
手術中は部分麻酔で普通ならば周りの物音は
まる聞こえなのだがここの医院では(他の病院でも?)
少しでも気が紛れるようにと中音量の音楽が流れた
ヘッドホンが耳に当てられた。
コレには随分助けられた。
リアルな物音や先生方のやりとりを聞いていては
とてもじゃないが尋常な精神状態ではいられない。
内臓がゆさゆさ揺らされるのを感じながらも
先生が何を話してるのか、私の身になにが起こってるのかが
サッパリわからない中、ひとことだけハッキリ言葉がきこえた。
「 うぁ!こりゃ~痛いわ。」
腫れた卵巣が180度ひっくり返る( 茎捻転 )と
もんどり打った状態で救急車モノなのだが
それが90度捻(ねじ)れていた、というのを術後知らされた。
お後、詳細をお聴きになりたいかたは
直接ぬいいとさんまで(笑)。

手術後はかなりつらいものがあった。
術後の処置は「 帝王切開 」の場合とほぼ同じ。
ただ胎児への影響を考えて痛み止めの薬剤使用は
かなり慎重にされていた。
早い話が
「 どんなに痛くても許容時間がくるまで我慢ガマン 」だ。
加えて丸何日か( 2日くらいやったかな? )
寝たきりで寝返りもうてない。
床に接している皮膚がウズウズしてきてたまらない。
辛うじて何センチかずつ体を動かしてそのウズウズを紛らしていた。
幸いなのは「 日にち薬である 」ということ。
それがあるから乗り越えられた。
寝たきりの方はコレが延々と続くのか
今の私もつらいけど、わずか数センチでも動ければ幸い
それさえもできないなんて。
と、こんなところで寝たきりの辛さの何万分の1かを
体験することになったのは私にとって非常にプラスとなった。

「 産む時は絶対下から産もう!」
改めてそんな思いを強くした
「 疑似帝王切開体験 」だった。

Y太・出産ドラマ②(お産編)

そんなこんなで激動の妊娠中期を終えて妊娠後期に突入。
妊娠中から何かしら上ふたりの姉たちの時とは
ビミョーな違いがあった。
食べたいもの、飲みたいものが
上ふたりのときと違う、だとか
上ふたりのときは欲しくもなかったおビールが
ちょっと飲んでみたかったりだとか。
上ふたりを妊娠中の時は尋ねなかった胎児の性別。
( 出産ドラマ
3回目となると、もし女なら( 旦那の )心の準備の都合が
そしてもし男なら服の準備の都合があったので
胎児性別的中率100%の先生に意を決してこの時期にお尋ね。

先生「 …男の子ですね。」

やっぱり。
女3人の中で育った私にとっては男でも女でも
どっちでもよかったけど、旦那は喜ぶだろな。
………………………………………………
術後から臨月までは平穏無事に過ごせた。
そして1月のとある日の早朝に
約5年ぶりに陣痛がやってくる。
幼いこどもふたりをつかの間家において
旦那の運転する車で実家近くのかかりつけ医へ。
「 ほな、がんばれよ 」
と言い残して旦那は速攻帰路についた。
ラマーズ法も慣れたもの。
そういや手術のあとのどえらい痛みも
なぜかこのラマーズ法で乗り切った。
その後、今日この日までいろんなケガやアクシデントがあり
息が止まるほどの痛さを何度か経験したけれど
すべてこのラマーズ法で乗り切ってきた。
ラマーズ法、ブラボー!(笑)
で、そろそろみたいなんだけどなぁってな時に
看護婦さんから
「 ご主人呼んでみたら? 」
と電話の子機を渡された。
これまで頑なに「 出産の立ち会い 」を拒否ってた旦那。
特に立ち会ってほしいとも思わなかったが
おそらくこれが最後のチャンス。
一生に一度できるかできないかの体験なので
旦那に打診してみることにした。
受話器のボタンに指をかけた瞬間…
「 あ゛~~~~~~!いだだだだ~~~~~っ! 」
子宮口で破水したのが自分でも明らかにわかった。
3回目である。あとの進行は早かった。
いきみも上手なものだ。
4か月前の手術のおかげで怖いものなしである。
そして・・・
「 ハイ!12時ジャストです!おめでとう♪」
院内に出産時お決まりの
「 ハッピーバースデー 」
の音楽が鳴り響いた。
狭い産道をくぐりぬけて出てきたわが子に初めてかけた言葉は
「 おつかれさぁん!(お互い)しんどかったなぁ。^^ 」だった。
結局旦那の立ち会い出産はお流れに。
今にして思えば父と息子の絶妙なコンビプレーだ。
………………………………………………
次の日の授乳室で疲れ切った様子のママさんに出会った。
聞けば私が入院した前の晩から入院していて
私より遅く、夜にやっと産んだとのこと。
丸1日かけてのお産、しかも初産だ。
疲れるのもあたりまえだのクラッカー。( 激古 )
その愛らしくもどこか芯の通った印象のあるママさんが
私を見るなり、「 あなたでしたかぁ。」
と、ため息混じりに言った。
自分が延々と陣痛に苦しむ中、となりの陣痛室では
自分より後から来てちゃっちゃと先に産んでいくし
看護婦さんからは
「 おとなりの妊婦さんはもう3人目なんですよ 」
と聞かされ
「 こんなしんどいこと3回もやって
  しかも、あとから来て
  ちゃっちゃと産んでいくおかあさんて
  いったいどんなヤツやねん?!」
と陣痛に苦しみながら思ってらしたらしい(笑)。
ママさんとの会話は続く。
マ「 12時ちょうどに産みはったんですよね? 」
ぬ「 うん、そぉよぉ。^^ 」
マ「 ですよねぇ!
   12時ちょうどにハッピーバースデーの音楽流れて
   『あ、おとなり、産まれたわ。』
  って私が言うてもウチの旦那、信じないんですよぉ。
  『そんな12時ジャストに生まれるわけがない!
   コレはお昼ご飯の合図の音楽や!』
   とか言うて~。(笑) 」
何度かこのママさんと授乳タイムを共にしているうちに
看護婦さんのこのママさんに対する反応が
イヤにハイなことに気づいた。
どうやら駆け出しの若手芸人の奥様らしい。
ミーハーぬいいとさんの血が騒ぐ。
「 ごめんねぇ~。子育てにまみれた生活してたから
  世の中のことにトンと疎くて~。
  ご主人、なんていう名前で出てはるの?」
ママさんの口から出た芸名は、本名の名字そのものだった。
ぬ「 わかった♪今度テレビで見たら
  陰ながら応援しとくわね~。」
マ「 あ~!ウチの人、あきませんわぁ~!
  だって全然おもんないしぃ~!
  たぶんそんなに伸びませんよぉ~。」

うん、確かに。・・・と数年後納得する。(笑)
その後、彼女のご主人はM-1覇者となり
「 おもろないスベリギャグ 」
を連発しながらも、その甘いマスクと憎めないキャラで
今やヘキサゴンファミリーの一員として
頻繁にお茶の間のテレビに登場している。
しもた。入院中に写真の一枚でも撮っときゃよかった。

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