2025年11月 7日(金) 02:34 JST

もりたけんさくぅ〜〜〜?

千葉県知事選で森田健作氏が当選した。

旦「 知名度で圧勝やな。」
ぬ「 59歳かぁ。いつまでも若いなぁ。」
なぁんて朝のワイドショー見ながら話をしてたら
横から笑が突っ込んできた。
「 この人、いったい何なん?」

(´ー`)ヾ そやな、あんたにゃわからんわな。

今は政治活動に専念してらっしゃるけど
その昔は「 青春 」の代名詞といわれた超売れっ子俳優さん。
ぬいいとさんも小学生の時は「 俺は男だ!」を
リアルタイムで毎週欠かさず見ていた。
歌も結構たくさん歌っていて、何曲かヒットもとばしていた。
実姉・keshidamaさんにいたっては
完全にモリケン(同氏の愛称)のとりこになっていて
当時の小学生が購入するには破格な
モリケンの2枚組アルバムを
なけなしのこずかい叩いて買っていたのを覚えている。
「 さらば涙といおう 」
は我々の世代以上の人間ならば誰でも口ずさめる
と言っても過言ではない。

…ってなことを笑に伝えたくて、ふたこと三言解説するんだけど
ボキャブラリーが足らずに今ひとつ笑はピンとこない様子。
少しひねって、こう言ってみた。
「 今で言うたら、上地雄介がこの歳になった頃に
  政治家やってる、ってかんじかなぁ〜?」
(*^ー^)b…やっと要領を得てくれたようだ。

イチローさんは小学生の
「 どうすればイチロー選手みたいになれますか?」
という問いに
「 気乗りしないことをやろうとすることは
  後々になって大きな力となる。」
ということをその小学生にインストールするために
「 ちゃんと宿題やろうね。^^ 」
という言葉を使った。
「 伝えたいことがあれば、その人の目線に合わせる。」
なかなか難しいけど、常に心したいと思う。

魂が悦ぶこと

三つ目の山を越えた時のお話。
「ここ数年、パソコンでいろんなことやってみたけど
 私が心底からやりたいことって
 こういうことなんだろうな、ってなことに
 最近ようやく気づいた。
 いや、思えば五年前、「アレ」をやったときに
 気づくべきだったのかも。
 「アレ」の詳細は後日あらためて…」

その「アレ」のお話を少し。
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Y太が幼稚園最年長さんの年、6月の時のこと。
Y太のダチママである仁ママがこんな提案をしてきた。
「 ぬいいとさん、子どもたちのアルバム作らない? 」
子どもたちが卒園するときに、手作りのアルバムをつくって
先生に贈りたい、そして、同じものをクラスのみんなにも
配ってあげたい、というものだった。
別の幼稚園に子どもを通わせている仁ママの友人が
過去、実際にやっていたことで、実物までみせてもらい
少なくても仁ママの頭の中ではすでにアルバムの概要が
出来上がっている状態だった。
「 ただ、私ひとりでは到底でけへんし、絵も描かれへんし・・・。」
という仁ママのなにか言いたげな目を見て、私は即答した。
「 やろっ。 ( ̄ー+ ̄) 」
サンプルアルバムを見てかなりの大仕事になるということは
容易に察しはついていた。
以前の私なら二の足を踏んでいただろう。
しかしそのときはちょうどPTA給食委員会の委員長として
給食試食会を取り仕切る、という仕事を終えた直後だった。
物事をやり遂げるための準備、人をまとめるためのノウハウ
自分がアクションを起こさない限りなにも動かないというプレッシャー
そういうものをすべて認識したばかりだった。
「できる。」
という確信があった。
なにより
「ぜひやりたい。」
があった。

そして卒業を迎えるころ・・・・できた。
( ドテっ!Σo(_  _ o) あいだ、はしょりすぎ!!)
百聞は一見にしかず。
出来上がったアルバムの中で
私の一番お気に入りのページを掲載します。
(画像をクリックしてね♪^^)

注釈・この年、運動会の鼓笛隊行進で流れていた楽曲は
   「世界にひとつだけの花」と「鉄腕アトム」でした。   

気乗りしないこと

イチロー先生が残している数々の名言のなかで
ぬいいとさんのお気に入りのひとつに
「 自分が気乗りしないことをやりとげようとすることは
  後々、とても大きな力となります。」
ということばがあります。
なにかやりたいことがあるとそれに付随して
必ず気乗りしないこともついて回ってくる
という法則があることに、この歳にもなると気づかされます。
その「やりたいこと」が大きくなればなるほど
それに付随してくる「気乗りしないこと」も大きくなります。
上の日記に書いた、「アルバムを作る」にあたっても
写真を撮ったり、イラスト描いたり、レイアウトを考えたり
なんていうおいしいところをするのはとても楽しかったのですが
企画が大きくなるにつれ、保護者への打診やとりまとめ、写真の管理
お金の扱いや会計報告など、わずらわしいことも多くなりました。
正直、写真代には旦那にはいえないくらいの身銭を切りました。
しかし、「やり遂げたい。」という気持ちが大きいと
そして、「最初からそんなことは百も承知」という覚悟があると
寝食惜しんで作業することも、あちこちにペコペコ頭下げることも
本来ならアルバム作りとは全く関係ない配布プリントの作成も
不思議と苦でなかったことを今でも覚えています。
そして、ありがたいことに、どうにもならないときや困ったとき
必ずどこからか救いの手が差し伸べられました。
これにはもう、感謝のきわみです。

ひとえに・・・これはPTA活動の賜物です。
正直、PTA活動ほどわずらわしいものはありません。
(なんていったら、PTA会長に怒られるだろうか
 いや、会長さんが一番身をもって体験してらっしゃるはずです。)
時間は束縛される、会社勤め並みの気遣いがいる
もちろん完全ボランティア、仕事に支障が出ることもしばしばです。
特に広報委員長の時には、プレゼンのボツが連続することも多々あり
『ムダ足ふませやがってぇ!』
と、自身の日記で膳ひっくり返したりもしました。
「PTA活動は気乗りしないものの最たるもの」
といっても過言はありません。(笑)
ただ少なくとも私にとって、ここで得たものは
イチローさんのおっしゃるとおり
後々お金には代えられない確かな(大きな、とはまだいえない)力と
なっていることは確かです。
アルバム作りだけに限らず、なにかやりたいことができた時
それに付随する「気乗りしないこと」も折込済みという姿勢で
臨むことができるようになりました。

「気乗りしないこと」を「大きな力に変える」
それは
「気乗りしないこと」プラスと捉えるか、マイナスと捉えるかで
変わってきます。
ただ、生きていく上でモチベーションの高い日、そうでない日
いろいろあります。
私も年がら年中シャニムニ生きてるわけではありません。
いろんなしがらみ、拘束があって気乗りしないことをあっさり捨てることもあります。
偉そうに御託を並べてますが、体調がすぐれない時は
洗い物ほったらかして、とっとと寝てしまうし
毎日の家事は如何にして手を抜くか、なんてことばかり考えてます。

でも、なんとか細々と少しずつ歩み続けていられるのは
このことばのおかげです。
「 自分が気乗りしないことをやりとげようとすることは
  後々、とても大きな力となります。」

笑・出産ドラマ

数ヶ月前に「 雪・出産ドラマ 」を投稿した後
笑やY太の出産ドラマが綴れずにいた。
兄弟はみな平等に、ってことで
まずは笑の出産修羅場…いや(笑)ドラマから。
………………………………………………
雪が生まれてまだ一年も経たないとある冬の日
近所の小料理屋でてっちりをつついていていた時のこと。
大好物のふぐの白子を口にしたとたん
かすかに「 うっ。」ときた。
雪を産んで以来、まだ月のものはやってこないけど
でもなんだか身に覚えのあるこの気持ち悪さ。
半信半疑で人生で初の妊娠検査薬にトライ。
結果は「 くろ 」だった。
雪を身ごもったときのまわりの反応は
「 え?もうできたん?! 」
だったが、笑を身ごもったときのまわりの反応は
「 え?またできたん?!」
だった。(笑)
一番青ざめてたのはうちの旦那様。
「 もう金輪際お前には指一本触れない!」
ある意味キケンな女だ、ということは
旦那がよく知っている。(笑)

妊娠中も大きなトラブルはなく
雪の時の妊娠時期と同じように時を過ごした。
ひとつ違ったのは、笑がもうそろそろお腹から出てこようとする頃に
かねてよりなかなか筆が進まなかったなかった
「 はみがきだいすき 」
の絵本を猛ダッシュで仕上げたことか。
胎教って、音楽だけじゃないのねぇ〜、ってなことは
その後かなりの年月が経ってから悟ることとなる。
出産は、雪の分娩時の半分の時間だったが
経過の状況はほとんど同じ。
「 半分に圧縮 」といった感じのお産か?
生まれてきてすぐに院長先生にかけられた言葉
「 (男か女か)どちらか自分で確かめてごらん 」
もいっしょ。
そして生まれてきた笑は父似でも母似でもなく
「 雪似 」の乙女だった。

産後ほどなく少し落ちついた頃に、陰部切開の縫合。
院長先生、針を差しながら曰わく。
「 うち、産み分けもやってるからね。
  ご希望やったら妊娠する前にきてね♪」
って、そんなぁ!
今産んだばっかりでヘトヘトやのに
そんな追い討ちかけるようなこと言わんとって!
それも大股開いた状態で…^^;
妊娠中に絵本を描いていたこともあって
「 美しい絵 」 で笑(仮名)と命名。
ぬいいとさんはマジで「 笑子(えみこ) 」と
名付けたかったが、あえなく却下。

いつまでも、若葉マーク

旦那が出張に行く前に車を車検に出した。
「 電話かかってきたら、とりに行っといてな。」
( ̄口 ̄;) な、なんですってぇ??
ひところほんとに前向きに取り組んでいた
脱・ペーパー物語
ここ数か月、とんと乗らなくなった。
おまけにこのあいだの裁判所見学
「 もう、車の運転なんてしたくない!」
ってな裁判を傍聴したもんだから、完全に怖じ気づいている。
「 どうか、旦那が帰ってくるまでに電話が来ませんように。」
(-人-)(-人-)(-人-)
・・・・祈りは届かなかった。 (o_ _)o ξ

で、車をとりに行ってきた。
歩いて2分ほどの近所のスタンド。
それでもぬいいとさんにとってはドキドキものだ。
歩きながら一生懸命考える。
「 えーっと、アクセルとブレーキ、どっちが右やったっけ?」
・・・かなりおそろしい話である。(笑)←笑い事やない。

以前そのスタンドでの数々の失敗が頭をよぎる。
ひさびさのアッシー君
ドキドキドキドキ(-"-;)
お会計を済ませ、スタンドの兄ちゃんに
「 帰れるかなぁ、久々やし、緊張するわ。」
と、気持ちを暴露せずにはいられなかった。
車はちゃぁんとエンジンかけてスタンバってくれてた。
いきなり助手席から乗り込もうとするぬいいとさん。
「 いや、ついいつものクセで・・・^^; 」
なぁんていいわけ、スタンドの兄ちゃんは笑えないわな。
サイドミラーまでひらいてくれてて至れり尽くせりだ。
どうにかこうにかトロトロ運転で家にたどりついたぬいいとさん。
歩いて来るより、車で帰った方が時間がかかった。
「 ヘッドライトまでちゃんと点灯してくれてた。」
なぁんてことは、車をガレージに入れて
ヘッドライトを消す段になって初めて気がついた。

はぁ、やれやれ。(=_=A゛

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