2024年4月28日(日) 22:10 JST

学校

Pの隠語

よままかちゃん曰く。
「ぬいいとさぁん!P集ってなに?」

ハイハイ、ぬいいとさんも初めて実行委員会に
出席した時は、ワケわからん言葉ばかりで
右往左往いたしました。

P集=PTA集会室

えー、ほかにどんな隠語があったかなぁ。

現P=今のPTA会員

正副(せいふく)さん
   =各委員会の実行委員長と副委員長を
     対で呼ぶ時の称号。

ひな壇=四役さんのこと。
 例:「〇〇さん、とうとうひな壇に
     上がっちゃったねぇ。」

夜襲(やしゅう)=何人かの役員さんが夜、保護者宅に
          実行委員引き受けのお願いをしに
          訪問すること。

青指(せいし)=青年指導委員会のこと。
         決してなにかを止めることではない。


社協(しゃきょう)=社会福祉協議会のこと。
           決してお経を書き写すことではない。

なんかもっと色々あったような気がするけどなぁ。
どなたか気付いたらコメントください。(笑)

ちなみにPTAを会社にたとえると
四役または役員=代表取締役
実行委員=中間管理職
委員さん(常置さんともいう)=平社員
何も役のない会員さん=臨時のパートさん
ってな感じだと思ってください。

バトンタッチ

「 新聞屋稼業 」( 別に稼いでないけど(笑) )
二年間委員長として務めさせていただきましたが
今年は次の方に委ねることになり
先日、新旧の正副委員長4人を交えて
「 引き継ぎの会 」なるものを開きました。

とはいってもぬいいとさん、よしえちゃん
そして次期委員長の、よままかちゃんは
子ども達が同じクラスで気心しれた仲。
よままかちゃん家でお茶菓子よばれながら
お気楽にやってました。

時期委員長のよままかちゃんは、昨年度も
広報委員としていろいろお手伝いしてくれました。

「 わたしにできるんかいな?」

なぁんておっしゃるよままかちゃん。
ぬいいとさんの狭い経験値内での話ですが
こういう風におっしゃる方こそ
ソツなくやりこなしちゃうんですよね。

パソコンは文字入力するくらいで他は何もでけへん
…とおっしゃいますが、ぶっちゃけた話
パソコン知らなくても広報委員長はできます。

よままかちゃんが委員長を引き受けられた時に
彼女の旧知の仲である「 グリーンさん 」も
一緒に引っ張り込み、ふたりでやっていく事に
なりましたが、グリーンさんとお会いするのは
このたび初めてでした。

「 パソコンのできるひと 」

としかうかがっておらず、前委員長として
どのように接したらよいのかなぁなんて
いろいろ思案していたんですが
お会いして安心いたしました。

ヒトコトで言えば
「うってつけの方」(笑)

パソコンができる云々の前に
新聞作りに一番うってつけなのは
「とにかく白い紙一枚与えたら
 ウハウハ気分で何かしらを書くことに
 快感を覚えるひと。」
パソコンできるに越したことはないけど
べつにパソコンできなくても「コレ」さえあれば
どないでもなるんです。

紙面作りに関しては、あたしは口出しせず
グリーンさんにお任せするのがbestのようです。
あとは、実行委員会に関わってないとわからない
PTAや学校のこまかぁーい掟や
地域や人間関係の絡みを、随時よままかちゃんに
伝授していくといたしましょう。
そう、この新聞屋稼業、引継帳だけで委ねるには
ちょっとばかししんどいモンがあります。
おせっかいだけど、1年間陰ながら
サポートしていく所存です。

当たり前な環境

笑が通う中学は、三学年合わせて
7クラスしかありません。
当然先生の人数も少ないわけですが
かわいそうなのは

「 クラブの顧問がいないこと。」

硬式テニス部に入ったものの
笑が中2になってからそれまでの顧問が転任し
テニスの指導をする先生がいなくなったため
笑より下の学年はテニス部入部は許可がおりず
今は三年生だけでの活動となっています。

大会に出場するのにギリギリの部員数。
ケガや病気、検定などでひとりでも欠けるとアウトです。
やる気はあるけど指導者がいない。
後輩もいないなんてなんとも寂しいかぎりです。
ありがちな話といえばそれまでなんですが
ぬいいとさん自身は卒業して何十年も経つ今でも
母校へ行けば顧問の先生や後輩達が
当たり前のようにボールを追いかけている
そんな環境なのでなんとも不憫に思えてなりません。


思いおこせば30年前。
P学院中高とバスケットをやってたぬいいとさん。

あの頃は顧問の先生が常に目を光らせてて
時にはビンタや足ゲリなんかもあったりして
たまにいない時は思いっきりのんびりしてたよなぁ。
選手層も厚かったから、ヘタクソで
ほとんど試合に出てなかったけど
「 試合を棄権する 」
なんて夢にもおもわなかったよなぁ。
今にして思えばとても恵まれた環境でした。

現在高2の雪は、アホちゃうかと思うくらい
土日も休まずクラブ( 硬式テニス )に
意気揚々と実に楽しそうに行ってます。

笑の部活動もあと3ヶ月ほど。
そのあとは高校受験が待ち構えています。

今度は当たり前のように
ちょっとばかりウザい顧問の先生がいて
ライバルが上にも下にもいて
「 たまには休みたいよなぁ。」
ってなくらいクラブ三昧な生活が待つ
そんなクラブ活動ができる高校に
行けますように♪
( それはソレで、またシンドイもんが
  あるねんけどね♪(^-^))

とにかくご無事で

今日から笑の修学旅行。
2泊3日in沖縄。
5:45分学校集合。
弁当持ち。
今朝、4時半おきでした。
…眠いぞ。(o_ _)ozZZ
今頃飛行機の中
無事着陸しますように。

説明会詳細

その説明会で、昨年修学旅行の引率をされた
ホープ先生のお話が、高校生向けなんだけど
海外にはハワイに1回行っただけの
ぬいいとさんにとって、新鮮だったので
少しご紹介しますね。

……………………………………………

私は最初、海外への修学旅行については
とても否定的でした。
わざわざ海外まで行かずとも
国内でも観るところはまだまだたくさんある
そう考えていましたが
昨年、韓国への修学旅行に付き添ってみて
その考えはガラリと変えられてしまいました。

北海道に行っても沖縄に行っても
迎えてくれるのは同じ思想を持つ
「 日本人 」です。
どこへ行っても当たり前のように温かく迎えてくれる。

でも「 韓国 」はじめ、アジアの諸外国では
決してそうではない。
日本人に対する嫌悪感がまだまだ残っていることが
実際に行って見ることによって
直接肌で感じられたのです。

「 広島の原爆資料館 」で
アメリカがやったことが語りつがれているように
「 韓国 」の戦争資料館や民族村などでは
日本がやってきたことが語り継がれています。

自分たち日本人がどう見られているか
これは国内の旅行では絶対感じることはできません。

( 中略 )

三年前には「 中国 」へ行きましたが
食べ物が合わず、少し大変な思いをしたそうです。
しかし韓国ではその点での心配はいりません。
受け入れるという姿勢がしっかりしています。
本校から200人の学生がいくわけですが
ちゃんと石焼きビビンバの器を200コ揃えて
受け入れてくれます。

もっと韓国を知ってほしい、もっと韓国にきてほしい
そういう思いの強さが伝わってきます。
子どもたちには何か少しでもいいから
そういうことを感じ取って帰ってきてほしい。
せっかく異国へ行くのですから
単なる「 修楽旅行 」に終わらせず
後々まで心に残る「 修学 」をしてきてほしいです。

……………………………………………

あたしが「 韓国 」行きたくなってきましたわ。(笑)

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