2024年12月23日(月) 08:19 JST

あたいの家族

Y太の期末テスト

Y太の期末テスト1日目

その1・朝の会話
ぬ「 今日のテスト科目は何?」
Y「 国語・数学・体育 」
ぬ「 ふぅん、ほなまぁがんばっといで〜。」

その2・昼の会話
ぬ「 今日はお疲れさぁん。明日の科目は何なん?」
Y「 えぇっと〜、理科と数学と音楽… 」
…って、ちょっと待てい!( ̄口 ̄)w゛
数学って、今日やったんと違うん?!

「 あ、間違っててん。」
と、あっさり片付けるY太。
ほんまに…勉強以前の問題やわ。(ρ_-)o

「 全科目平均点以上とること 」
というミッションを旦那から与えられ
さぞかし必死で勉強するかと思いきや
テスト期間中も友達と遊んで
もしかして周りの成績を下げる戦略に出てる?
と親におもわせてるウチのアホぼんである。

雪の新学期

新学期が始まって2ヶ月あまりが経った。
こどもたちの新学期の様子をここでおさらい。
まずは長女・雪から。
………………………………………………
無事大学2年生となった雪。
相変わらずの「 資格オタク 」でMCASも3種目制覇
2年になってからは大学の授業とは別に
医療事務の講習まで受けだした。
1年の時のような週休3日の優雅な大学ライフが
2年になって一転、週休1日となった。

そうそう、週一でテニスも始めた。
Y太が通っているテニススクールと同じところだ。
中高とテニス部だったのに
「 ブランクがあって体力に自信がないから 」
と、初心者と名乗っての入会だ。
いかにも雪らしい(笑)。

ちなみに
「 バイトもそろそろやらなアカンとは思てるねんで 」
とか言いながら未だ働く気配はない。
わたしの本音を言えば
「 ヘンに働くより、このまま学業に精を出してくれ。」
である。

「 家計を助ける 」

働くだけが術じゃない。
え?社会勉強?確かにそれも大事やねんけどな
でもな…( 言葉を濁すw

笑の新学期

無事に、というより楽勝で(笑)高校3年生に進学。

笑のことはこれまでにも少し触れていたが
目標はある程度定まってきた。
「 公立の美大 」が第一志望だ。
自分のやりたいことを加味すると
どうやら近郊ではなく地方の大学となりそうだ。
って、まだ受けも受かりもしてないけど(笑)

一気に受験モードに入った。
あれだけ塾を拒否ってた高校受験の時とはうってかわり
週5で塾に入り浸り、ほぼ毎日お絵かきだ。

無理もない。
「 建築デザイン科 」に進み、製図三昧の2年間だった。
同じ学校の「 美術科 」の子たちと比べたら
差は歴然であることは本人がよくわかっている。
( 私にはみんな同じように上手に見えるけどw )

入塾していきなり受けた学力テストもほぼオールE判定。
しゃぁない、「その手」の勉強はしてへんかってんし。
そういやオカンも小6の秋に初めて受けた模試で
志望校受験者250人中226番やったけど
3ヶ月後には14番まで這い上がったで。
受験までまだ半年以上ある。
DNAえぇとこ取りして頑張れ~^

Y太の新学期

この春、無事地元の公立中学校に入れてもらうことができた(笑)。

一学年2クラス、1年の生徒数72人の
こじんまりとした学校。
当然先生の数も少なく、そのあおりでクラブの数も年々少なくなり
姉ふたりが汗したテニス部は影も形もなくなっていた。

「 中学行ったら今通ってるテニススクールを
  週2回に増やしてがんばる!
  学校のクラブには絶対入れへん!」
と、小学校の時から公言していたY太。
確かに、中学の運動部はサッカー・ラグビー・卓球のみ。
どれも君のキャラには合わんわなー。
選択肢が極端に少ないし、本人の希望を飲む心づもりでいたのだが…

ある日唐突に宣言。

「 ラグビー部に入るわ。」

ハァ~~~~~~っ?!?! (ノ`□´)ノ彡
家族はモチロン、親戚縁者、Y太を知る同級生
そのママたち、加えて6年の時の担任たごめっちまで
みんなこぞってひっくり返ってしまった。
ラグビーっちゅーキャラじゃないねんけどなぁ
ひょっとして周りに流された?

いろいろ腑に落ちない点もあったけど
ま、悪いことではないし、私の考えは
「 動機は不純でも決して悪くはない 」
なので、温かく、というより
「 まぁ気の済むようにしなはれ 」
の体で見守ることにした。

これまで通り、テニスもボーイスカウトも続けていく。
心配は「 わらじ3足履ける?」だけど
ま、コレも学習のひとつとしよう。

私がこの学校のラグビー部において気に入ったところは
「 土日に野球チームに入っている子たちも受け入れて
  野球活動も尊重しつつ、ラグビーも真剣にさせている。」
というところ。
そう、我が校には野球がやりたくてもできない子が
ウジャウジャいてる。
それでも体力維持のため、真剣に取り組むという条件で
平日はラグビーに取り組ませているというスタンスだ。
今のところとても良いバランスを保っているようだ。

最近いやに廊下がざらついている。
雨の日はとんでもなく服や靴が泥だらけになって帰ってくる。
週末はラグビー野郎にテニスの王子様、スカウトルックと
Y太の七変化が見られる。
どの光景も、どの現象も、なかなかオモシロイ。

え?勉強?
テスト勉強に費やした時間を真っ正直に
「 10分 」と書いて提出したプリントに
「 短すぎ!」と先生から赤ペンでツッコミ入れられている
まだまだまだまだ自覚の足らないアホぼんざます。
勉強に関してはまた追々と。( と言って逃げるw )
 

Y太・出産ドラマ①(アクシデント編)

雪・出産ドラマ
笑・出産ドラマ
を綴ったあとで、すぐにY太の出産ドラマも書きだしたのだが
別に旬がないネタなので合間を見てほんとにちょっとずつ
のんびり書いていたら気づけば1年以上が経っていた。
遅くなった分、長々と2編に分けてお披露目。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妊娠初期は精神的にも身体的にも不安定だった。
あまり事細かに書くのも考えモノ的な内容なので
ここでは省略。

それでもなんとか無理やり平穏な状態にもっていって
ちょっと落ち着いたかなぁといった妊娠中期に入ったころ
先生からとんでもないことを宣告される。

「 手術をします。」

( ̄□ ̄;)!!え~~~~~~~!!
私にとっては寝耳に水だったが
先生側ではずっと念頭にあった症状だったようだ。

病名は「 卵巣膿腫 」。
子宮の両側にある卵巣が何らかの原因で腫れる病気。
正常な卵巣の大きさは親指第一関節くらいなのだが
その卵巣の片方がテニスボールくらいに腫れていた。
妊娠初期にはよくあることらしく、普通なら月を増すごとに
その腫れが治まるので先生もずっと様子をみていた
というのだが、それが治まらないまま妊娠中期に突入。
このままでは茎捻転起こして救急車モノになったり
出産時に破裂したりといったリスクが発生する。
「 え、そんなに痛くないし 」
だとか
( 正確には当時ずっと感じていた痛さが
 「 尋常な痛さじゃない 」ということを
  本人がそうであると自覚していなかっただけ
  というのを後々認識する。 )
「 薬で散らしたりはできないの?」
だとか、先生の前で悪あがきをしたが
「 内診であれだけギャーギャー痛がってるのは
  尋常ではない。 」
とか
「 安全にお産するための手術だから 」
という先生の説得にようやくぬいいとさんも観念した。
………………………………………………
体にメスを入れるのは初めてだった。
手術台の上で生まれたままの姿で大の字になる。
「 まな板の上の鯉 」とは正にこのことだなぁと
心の中で変に納得する。
手術中は部分麻酔で普通ならば周りの物音は
まる聞こえなのだがここの医院では(他の病院でも?)
少しでも気が紛れるようにと中音量の音楽が流れた
ヘッドホンが耳に当てられた。
コレには随分助けられた。
リアルな物音や先生方のやりとりを聞いていては
とてもじゃないが尋常な精神状態ではいられない。
内臓がゆさゆさ揺らされるのを感じながらも
先生が何を話してるのか、私の身になにが起こってるのかが
サッパリわからない中、ひとことだけハッキリ言葉がきこえた。
「 うぁ!こりゃ~痛いわ。」
腫れた卵巣が180度ひっくり返る( 茎捻転 )と
もんどり打った状態で救急車モノなのだが
それが90度捻(ねじ)れていた、というのを術後知らされた。
お後、詳細をお聴きになりたいかたは
直接ぬいいとさんまで(笑)。

手術後はかなりつらいものがあった。
術後の処置は「 帝王切開 」の場合とほぼ同じ。
ただ胎児への影響を考えて痛み止めの薬剤使用は
かなり慎重にされていた。
早い話が
「 どんなに痛くても許容時間がくるまで我慢ガマン 」だ。
加えて丸何日か( 2日くらいやったかな? )
寝たきりで寝返りもうてない。
床に接している皮膚がウズウズしてきてたまらない。
辛うじて何センチかずつ体を動かしてそのウズウズを紛らしていた。
幸いなのは「 日にち薬である 」ということ。
それがあるから乗り越えられた。
寝たきりの方はコレが延々と続くのか
今の私もつらいけど、わずか数センチでも動ければ幸い
それさえもできないなんて。
と、こんなところで寝たきりの辛さの何万分の1かを
体験することになったのは私にとって非常にプラスとなった。

「 産む時は絶対下から産もう!」
改めてそんな思いを強くした
「 疑似帝王切開体験 」だった。

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