2025年1月11日(土) 23:57 JST

気乗りしないこと

イチロー先生が残している数々の名言のなかで
ぬいいとさんのお気に入りのひとつに
「 自分が気乗りしないことをやりとげようとすることは
  後々、とても大きな力となります。」
ということばがあります。
なにかやりたいことがあるとそれに付随して
必ず気乗りしないこともついて回ってくる
という法則があることに、この歳にもなると気づかされます。
その「やりたいこと」が大きくなればなるほど
それに付随してくる「気乗りしないこと」も大きくなります。
上の日記に書いた、「アルバムを作る」にあたっても
写真を撮ったり、イラスト描いたり、レイアウトを考えたり
なんていうおいしいところをするのはとても楽しかったのですが
企画が大きくなるにつれ、保護者への打診やとりまとめ、写真の管理
お金の扱いや会計報告など、わずらわしいことも多くなりました。
正直、写真代には旦那にはいえないくらいの身銭を切りました。
しかし、「やり遂げたい。」という気持ちが大きいと
そして、「最初からそんなことは百も承知」という覚悟があると
寝食惜しんで作業することも、あちこちにペコペコ頭下げることも
本来ならアルバム作りとは全く関係ない配布プリントの作成も
不思議と苦でなかったことを今でも覚えています。
そして、ありがたいことに、どうにもならないときや困ったとき
必ずどこからか救いの手が差し伸べられました。
これにはもう、感謝のきわみです。

ひとえに・・・これはPTA活動の賜物です。
正直、PTA活動ほどわずらわしいものはありません。
(なんていったら、PTA会長に怒られるだろうか
 いや、会長さんが一番身をもって体験してらっしゃるはずです。)
時間は束縛される、会社勤め並みの気遣いがいる
もちろん完全ボランティア、仕事に支障が出ることもしばしばです。
特に広報委員長の時には、プレゼンのボツが連続することも多々あり
『ムダ足ふませやがってぇ!』
と、自身の日記で膳ひっくり返したりもしました。
「PTA活動は気乗りしないものの最たるもの」
といっても過言はありません。(笑)
ただ少なくとも私にとって、ここで得たものは
イチローさんのおっしゃるとおり
後々お金には代えられない確かな(大きな、とはまだいえない)力と
なっていることは確かです。
アルバム作りだけに限らず、なにかやりたいことができた時
それに付随する「気乗りしないこと」も折込済みという姿勢で
臨むことができるようになりました。

「気乗りしないこと」を「大きな力に変える」
それは
「気乗りしないこと」プラスと捉えるか、マイナスと捉えるかで
変わってきます。
ただ、生きていく上でモチベーションの高い日、そうでない日
いろいろあります。
私も年がら年中シャニムニ生きてるわけではありません。
いろんなしがらみ、拘束があって気乗りしないことをあっさり捨てることもあります。
偉そうに御託を並べてますが、体調がすぐれない時は
洗い物ほったらかして、とっとと寝てしまうし
毎日の家事は如何にして手を抜くか、なんてことばかり考えてます。

でも、なんとか細々と少しずつ歩み続けていられるのは
このことばのおかげです。
「 自分が気乗りしないことをやりとげようとすることは
  後々、とても大きな力となります。」

笑・出産ドラマ

数ヶ月前に「 雪・出産ドラマ 」を投稿した後
笑やY太の出産ドラマが綴れずにいた。
兄弟はみな平等に、ってことで
まずは笑の出産修羅場…いや(笑)ドラマから。
………………………………………………
雪が生まれてまだ一年も経たないとある冬の日
近所の小料理屋でてっちりをつついていていた時のこと。
大好物のふぐの白子を口にしたとたん
かすかに「 うっ。」ときた。
雪を産んで以来、まだ月のものはやってこないけど
でもなんだか身に覚えのあるこの気持ち悪さ。
半信半疑で人生で初の妊娠検査薬にトライ。
結果は「 くろ 」だった。
雪を身ごもったときのまわりの反応は
「 え?もうできたん?! 」
だったが、笑を身ごもったときのまわりの反応は
「 え?またできたん?!」
だった。(笑)
一番青ざめてたのはうちの旦那様。
「 もう金輪際お前には指一本触れない!」
ある意味キケンな女だ、ということは
旦那がよく知っている。(笑)

妊娠中も大きなトラブルはなく
雪の時の妊娠時期と同じように時を過ごした。
ひとつ違ったのは、笑がもうそろそろお腹から出てこようとする頃に
かねてよりなかなか筆が進まなかったなかった
「 はみがきだいすき 」
の絵本を猛ダッシュで仕上げたことか。
胎教って、音楽だけじゃないのねぇ〜、ってなことは
その後かなりの年月が経ってから悟ることとなる。
出産は、雪の分娩時の半分の時間だったが
経過の状況はほとんど同じ。
「 半分に圧縮 」といった感じのお産か?
生まれてきてすぐに院長先生にかけられた言葉
「 (男か女か)どちらか自分で確かめてごらん 」
もいっしょ。
そして生まれてきた笑は父似でも母似でもなく
「 雪似 」の乙女だった。

産後ほどなく少し落ちついた頃に、陰部切開の縫合。
院長先生、針を差しながら曰わく。
「 うち、産み分けもやってるからね。
  ご希望やったら妊娠する前にきてね♪」
って、そんなぁ!
今産んだばっかりでヘトヘトやのに
そんな追い討ちかけるようなこと言わんとって!
それも大股開いた状態で…^^;
妊娠中に絵本を描いていたこともあって
「 美しい絵 」 で笑(仮名)と命名。
ぬいいとさんはマジで「 笑子(えみこ) 」と
名付けたかったが、あえなく却下。

いつまでも、若葉マーク

旦那が出張に行く前に車を車検に出した。
「 電話かかってきたら、とりに行っといてな。」
( ̄口 ̄;) な、なんですってぇ??
ひところほんとに前向きに取り組んでいた
脱・ペーパー物語
ここ数か月、とんと乗らなくなった。
おまけにこのあいだの裁判所見学
「 もう、車の運転なんてしたくない!」
ってな裁判を傍聴したもんだから、完全に怖じ気づいている。
「 どうか、旦那が帰ってくるまでに電話が来ませんように。」
(-人-)(-人-)(-人-)
・・・・祈りは届かなかった。 (o_ _)o ξ

で、車をとりに行ってきた。
歩いて2分ほどの近所のスタンド。
それでもぬいいとさんにとってはドキドキものだ。
歩きながら一生懸命考える。
「 えーっと、アクセルとブレーキ、どっちが右やったっけ?」
・・・かなりおそろしい話である。(笑)←笑い事やない。

以前そのスタンドでの数々の失敗が頭をよぎる。
ひさびさのアッシー君
ドキドキドキドキ(-"-;)
お会計を済ませ、スタンドの兄ちゃんに
「 帰れるかなぁ、久々やし、緊張するわ。」
と、気持ちを暴露せずにはいられなかった。
車はちゃぁんとエンジンかけてスタンバってくれてた。
いきなり助手席から乗り込もうとするぬいいとさん。
「 いや、ついいつものクセで・・・^^; 」
なぁんていいわけ、スタンドの兄ちゃんは笑えないわな。
サイドミラーまでひらいてくれてて至れり尽くせりだ。
どうにかこうにかトロトロ運転で家にたどりついたぬいいとさん。
歩いて来るより、車で帰った方が時間がかかった。
「 ヘッドライトまでちゃんと点灯してくれてた。」
なぁんてことは、車をガレージに入れて
ヘッドライトを消す段になって初めて気がついた。

はぁ、やれやれ。(=_=A゛

来客(過去記事^^;)

今年に入ってからなんだか「あっ!」と驚く方が
お店やその近辺にに来られています。
地元なんだけどなかなか会えなかった同級生。
先述の「たかちゃん」。
ぐっさんや、円さん。(もち、TVでおなじみの。)

1月も小正月がすぎたころ、これまたサプライズな方が
お見えになりました。
「 はなさん 」
ぬいいとさんが20代前半に栄養士として5年間勤めた時
本社勤務の営業課長さん。
こちらの方は数か月に1度しか顔合わせしなかったにもかかわらず
そして、20年ぶりというブランクにもかかわらず
お店に入ってこられるなり、すぐにわかりましたよ。
20代の記憶と40代の記憶・・・違いますよね、やっぱり。

はなさんがメニューを手にとるなり
ぬ 「 あ、これ、あたしがつくったんですよ~。」
は 「 やろうな。あいかわらずこんなことやっとんねんな~ 」
在社中は本業そっちのけで(笑)ふざけたPOPチラシばかり
描いていたのを、我慢強く見守り続けくださってたはなさん。
ただ、退職後、雪が生まれたばかりの頃に
とっても大きなチャンスをくださってたのを
モノにできなかったことがあり、それがいまも
申し訳なく、心残りでもあります。

年賀状のやり取りはあったので
軽くそんなあたりの話題で盛り上がり。
はなさんは定年前に退職後、某有名調理師学校で
講師をなさってること、そして今も超多忙な中
寸暇を惜しんでご来店くださったこと。
ぬいいとさんは最近いっちゃん先輩とつるんでること。

は 「 ぬいいとさん、で思い出すのは、やっぱり・・・」
ぬ 「 あ~、もう言わんとって下さい!
   『1か月のあいだに、労災2回 』 でしょ?」
立て続けに包丁で指切ったり
現場の階段ですっ転んで尾骨折ったりと
本社では笑いのタネだったそうで。^^;

本来なら部下であるぬいいとさんがはなさんを
訪問すべきところでしたのに・・・
MOTTAINAI お話です、ハイ。

来客

先日、サプライズゲスト(厳密にはカスタマー?)
がありました。
「 たかちゃん 」
って、誰やねんソレ?!ですよね。
以前、関テレの社員食堂で週一バイトをしていた時の
職場仲間のたかちゃん。
実は不覚にも最初お顔を拝見した時に
見覚えはあったもののピンとこなくて
しばらくのあいだ
「 ん?誰のお母さんやったかな?
  いや、ご近所さん?どこかの店の店員さん?」
なんてぐちゃぐちゃになった記憶の紐をほどいて
やっと
「 そや!関テレや!」
と正解にたどりついたのは、たかちゃんがカレーうどんを
半分ほど食べた頃でした。
2年半ぶりの再会とはいえ、そして不意打ちだったとはいえ
仮にも週一回合わせていたお顔を忘れてしまうなんて!
失礼にもほどがありますよね。
で、あわててお声をかけるぬいいとさん。
「 間違ってたらスミマセン、関テレでご一緒やった・・・ 」  
・・・・あ、名前、なんだったっけ?(笑)
どこまでも失礼なヤツです。^^;
でも、ここまで言うとたかちゃん、にっこり微笑んで
お話を始めてくださいましたよ。

関テレはぬいいとさん宅からは電車に乗って30分ほどの現場
近所の超ローカルな話題なんてここでは無縁だと思っていたら
ひょんなことからこのたかちゃんが、子どものころ
ぬいいとさんの実家件職場のごく近くに住んでいて
よくうちの店に来てくれてたことが発覚。
「ぬいいとさんとこの店、っていったらカレーうどんやんな!!」
そうそう、そんなこと言ってくれてたのもやっと思い出したわ。
今は京橋在住ですが、このたび親御さんがこちらに
引っ越されてきたとのことで、うちに立ち寄ってくださったとのことです。
あいにくお店が満杯で、ゆっくりお話できなかったんですが
「ごちそうさまぁ♪」
と帰ったそのあとには、紙ナフキンに書いた置手紙が・・・。
「 子供の頃に食べていたカレーうどんのままでした。
  食べてみると思い出すものですね。
  おいしかったです。また来ます。
  ごちそうさまでした。
  思い出してくれてありがとう。」

なにもお礼が言えなかったなぁ・・・。
たかちゃん、また、来てね。

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