2025年12月15日(月) 18:05 JST

つぅぃった~??

Twetter って、何ぞい?
↑↑ 詳しくはこちらをごらんくださいませ。^^
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぬいいとさんがweb上でよくお世話になる方々は
ほとんどがweb関係のお仕事をしてらっしゃいまして
Twitter も早くから利用されていました。
何だかワケわからんので最初はあまり関わらなかったのですが
そちらでの賑わいが大きくなるにつれ
「 これはちょっとでも足突っ込んどかないと置いてけぼりになる~ 」
と、とりあえず登録したのが半年前。

しかしこれがまたTwitter界の流れの早い事はやいこと!
完全に鳴門の渦にのみこまれてしまいました。(没)
「 こりゃ、私の体質には合わん!(合わない) 」
と、ほとんど入室しないまま数か月が過ぎました。

最近になって、親愛なるオバままさんがTwtterに登録
目ざとくぬいいとさんを見つけてフォローしてくれたのをきっかけに
ひさびさに入室。
相変らず私のつぶやきルームに関わってらっしゃる方々は
北島康介のごとくスイスイとTwitter界を爆泳していらっしゃいます。
プールサイドで旗振って応援するだけにとどめようと思ったのですが・・・

ん?待てよ?コレを利用しない手はない。

今、みなさんに読んでいただいてるこのサイト
「 ぬいいとさんののんびりのびのび 」
は、あちこちのSNS(ソーシャルネットワークサービス。mixiなど)に登録してあるので
そこからの訪問者でそこそこ賑わっているのですが
そこから先のリンク、たとえばばんごはん だとか名言集まで
たどってくださる方は、なかなかいらっしゃいません。
(でもなぜか「 ばんごはんサイト 」は、本サイト以上に好評だったりするww)

今、私の中で温めていることは
「 ばんごはんサイトのグレードアップ 」
詳細はここでは省略しますが、せっかくアップグレードしても
訪問者が少なけりゃ意味がない。

って~んで、賑わってるTwetter を利用することにしました。
今まで通り、写メ貼り付けたメールで簡単に投稿できることもわかり
壁は一気に低くなりました。

時を同じくして、ほほえみさんや智香子さんも
日記でTwitter に関して触れられてました。
うん、そういうタイミングなんやね。

たぶんプールの中で北島康介バリのみなさんが
バシャバシャ爆泳してる(ツィートしまっくってる)傍らで
浮き輪はめてプカプカ浮いてると思うんですが
うっとうしがらずに、温かくスルーしていってください。
たまにはそのプカプカ浮いてるぬいいとさんの頭を
漫才のツッコミのノリでパァンと叩いてくだされば
(リツィートしてくだされば)とてもありがたいです。^^

・・・・・ところで、リツィート(ツィート文引用の方)の仕方が
わからない~!(><) 

100円商店街

ぬいいとさんの職場件実家である大衆食堂は
生野区のとある商店街の中にあります。
昨日・今日と二日間、その商店街あげて
「百円商店街」といったイベントが開催されました。

「 とにかくなんでもいいからお客様が喜ばれる
 100円商品を出してください。」
との商店街理事長さんからの通達。
いろいろあちこちから情報をもらって検討した結果
「 赤飯200g入り 通常220円 → 100円 おひとり様2パックまで 」
なんてことにしたのですがね。
半額以下。前代未聞の価格設定です。
そんなこんなで初の試み、全然予測も見当もつかぬまま
1日目の開店時間となったのですが・・・・・
わずか15分で予定数売り切れ。
寸前で切られたおばちゃまがた、血相変えて怒るおこる。^^;;;;;;;
なにわのマダムは食らいついたらスゴイです。
(かくいう私もなにわのマダムですがね。^皿^)
それでもなんとかその場をとりなして
1日目の反省をふまえて迎えた2日目の今日は
予定数をほぼ倍に増やし
「 整理券配って列の最後尾にひとり待機してお客さんの誘導をする 」
ということにし、無事トラブルもなく終える事が出来ました。

その「 最後尾に待機 」のお役目をこのぬいいとさんがやったのですが
整理券をひととおり配って後からいらっしゃるお客さんをナビしてたら
あるひとりのお客さんから
「 なんでこんなに安いん?ぎょうさん(たくさん)残ったんか? 」
と、言われたんですよね~。
しんどい目ぇだけして儲けなし、それでも間違いのない商品をと
朝の早から準備していただけにカチンときました。
「 なぁ~~にぃ~~~!? 凸(`皿´ #) 」
と胸ぐらつかんで詰め寄ってやりたいところだったんですがね。
ぬいいとさんもそこはおとなです。
「 えぇ~~~?!もう今日は出血大サービスなんですよぉ~~!
  もう首筋から血ィダラダラ流れてますわ~!( `o´)o゛  」
という程度に抑えておきましたわ。(笑)
その場もなごんだし、ま、今日のところはこれぐらいにしといたろ。
、さっそく使わせてもろたで。^皿^

今回のイベントでわかったこと。
「 割引もなにもない普段にきてくださるお客様のありがたみ 」
大事にしなくちゃね。真摯に受け止めて。

作ること、食べること

笑とぬいいとさんの会話

笑「( 同級生の )Aさんちな、昨日の晩ご飯、食パンやて。」
ぬ「 ん?食パンと何?」
笑「 食パンだけ。」
ぬ「 お母さんが夜は仕事やったとか?」
笑「 いんや、寝てたらしい。」
ぬ「 調子悪かったんかなぁ?」
笑「 そうでもないみたい。
   このあいだは『ごはんだけ』やったらしい。」
ぬ「 え~っ!?( ̄○ ̄;)
   …まぁ、いろんなオカンおるからなぁ。
   で、その子は自分で玉子焼くとかせぇへんの?」
笑「 あ~、たぶんせぇへん。そんなタイプじゃない。」
ぬ「 そぉかぁ。基本形( 母 )がそれやったら
   当然子どももそうなってくるわなぁ。」

お料理ができない乙女はゴマンといる。
ただ、その中でも自分では全くせずとも
親御さんが毎日、いや、時々でも作って食べさせている場合は
さほど案ずるほどのことでもないと私は思っている。
「 作ること 」が身についてなくても
「 食べること 」が身についていれば
必要に迫られればどうにかなるからだ。

深刻なのは、食べることさえ身についていないケース。
確かにパンや米だけ食ってても死にゃあせんけど…。

おっかた~づけぇ~♪

このサイトの右にも左にもある掃除なんか大嫌いだ!という別サイトなんですが
もうひと月近く更新が滞ってるんですがね
実は、滞ってる間に近年にないくらい家内の整理が進んでます。
特に旦那がオフの日の朝、私の出勤前1時間の整理速度は
これまたすさまじいものがありましてね
あっちゅうまにゴミ袋の山ができ、ご近所さんから
「 ん?ぬいいとさんち、もしかしてお引越し? 」
なんてウワサが立つほどです。
え?掃除はって?
ん~、あいかわらず知らない間に綺麗になっているところがチラホラ。^^;;;
トイレとレンジ磨きは私がやってます。(ナイ胸張るな!)
で、今日はほんとぉ~に久々のなんの予定もノルマもないオフで
朝から意気込んで整理し始めたのはいいのですが
下の写真のようなたったこれだけの棚を片付けるのに数時間・・・
( 以下、画像をクリックすると原寸大で出てきます。 )

やっぱり私ひとりではあきませんね、脱線しまくりです。^^;;;;
捨てかけた本を読み直してははまりぃの
幼いころの写真が出てきたといっちゃ~思い出にふけり~の。
それでも以前からまとめ切れなかった保険の証書類をすっきりさせたり
読まない本はこの際潔くお釈迦にしたりと
あれよあれよという間にごらんのような状態に。

まぁでもよくこんだけ溜め込んでいたものだわ。

整理してるといろいろうれしいこと、再発見することってありますね。
これは、中島みゆきさんから毎年2月に贈られてくるバースデーカード。

いや、事務所の人がやってるなんてことは百も承知なんですけどね。(笑)
それでも毎年忘れず贈られてくるなんて感謝物です。
(年会費払ってるんだから当たり前といわれればそれまでだけど、いいもぉん。)
いつも送られてきては「 きゃ~!」とその時はよろこぶものの
また封筒に戻して引き出しへ・・・
という生活が気づけばもう11年になっていました。
封筒を破棄し、記念撮影をしてからカードケースの中へ。

それから、こんなポストカードが出てきました。
1990年夏の暑中見舞い。

このときは確かお腹に雪がいたよな。
嫁に行くとき実家に置いてきたみどりガメを
「どないすんねぇん!?」
と、母いとさんに迫られてこんな暑中見舞いをつくったといういきさつが
あったような、なかったような・・・。
picasaアルバムに入れとかなくっちゃ。

これは雪を産んだ年に描いたもの

なにかの挨拶状なんですが、いつ、何のために、誰に渡すために
作った挨拶状なのか全く記憶にないんですが
この挨拶状といい、先ほどの暑中見舞いといい
このころの私にあって、今の私がなくしかけているものが
このふたつに存在していることに気づかされました。
めっちゃラフに描いたイラストやけど、今見ても面白い。(少なくとも私は)
当時描いていた自分はもっと面白がっていたんだろうなぁ。
もう描いたときの記憶なんて全くなくなってるけど。

歴代の過去の挨拶状や描いてきたもの全てにいえることなんですが
手段を選ばず、周りの反応なんてお構いなしに
ただ、自分が面白いと思ったものを形にしていた私が
そこにあります。
全部載せててはキリがないのではしょりますが
「こんなもん、よく名刺代わりに渡してたなぁ」
なんて今にして思えば赤面モノの手描きチラシもありましたよwww。
でもね、そのころはそんなことお構いなしにそれを発信してました。
話が逸れますが、私がUMEYOT'Sの手描きフライヤーに惹かれるのも
そこなんです。

手段を選びすぎて前に進めていないのかも?
今日の整理、結局見た目は「 どこ片付けたん??? 」
ってな状態やけど、中身はすっきり、保険もスッキリ
そして・・・私なりにかなりの学びがありました。
あ、ばんごはんしなくちゃ。ではでは!

病に倒れて学んだこと

いつだったか、どこかの生命保険会社が
「 病に倒れて学んだこと 」
だかなんだかそんな感じのお題目で
一般からエッセイを募っていました。
「 私だったらこういう風に書くな~ 」
と頭の中でいろいろ妄想してみましたが
考えがまとまるにつれ
「 ん?コレって、主催者ウケしない内容かも?」
ってなくらい冷たいものになってしまって
ハタと筆が止まってしまいました。
その後、忙しさに紛れて形にすることなく
今日まできてしまいましたが…
「 Y太・出産ドラマ 」を書いているうちに
ちょっとまとめてみたくなったので
ここで、ひとりコンテスト。
………………………………………………
私にとっての
「病に倒れてまなんだこと」
それは
「 本当の辛さは所詮自分にしかわからない。
  結局自分を守れるのは自分だ。
  ただ、そのためには何もかも自分で背負い込むのではなく
  人に助けを求め、甘える心をもつことも必要である。
  そしてそのためにはちょっと図々しいかなぁと思うくらい
 『 自分 』を発信することが必要だ。
  何もせずに人にわかってもらえないことを嘆いたり
  人から手をさしのべられるのを
  どこかで待つ自分があるとすれば
  それは甘え以外のなにものでもない。」
ということです。

物心ついたときから
成人して世の中に繰り出して社会生活を送るまで
いやもしかしたら育児をしていたごく最近まで、私には
「 自分の体の不調を訴えること 」
にどこか臆病なところがありました。

「 これぐらいはみんなしんどいんだから
  私も我慢しなくちゃ 」
だとか

「 そんなことぐらいで医者にいくの?
  っていわれそうだから市販薬や自然治癒力頼みで
  もうちょっと自力で頑張ってみよう。」
だとか

仕事中に
「 もう、限界!立ってられないくらいしんどい!」
と頭抱えて座り込むくらい熱が出てるのに
「 熱があるようなので帰らせてください。」
の一言が言い出せず見かねた上司が帰宅を促すまで
心のどこかでそれを待っていたり。

「 医者行くヒマないけど、『休みます』とは言いづらい。」
と、健康診断やちょっとした体の不具合はスルーしたり。

根本には「 他人の目を必要以上に気にする自分 」
がありました。
自分というものがない、あかんたれですね。
また「 我慢することが美徳だ 」
みたいな意識がどこかにあったんでしょうね。
これは「 体育会系の弊害 」でしょうか?(笑)
いや、幼いときから根付いてたからそうともいえないな。

そんな私の意識を変えてくれたのが
「 入院生活 」と「 退院後のまわりの対応 」です。
出産で3度入院した以外は
二十歳に勤め先で階段踏み外して尾骨骨折し
1週間入院したあとすぐに職場復帰したときと
もうひとつは、3人目を妊娠中に卵巣膿腫を患い
お腹に我が子を宿したまま手術したとき。

座ってるだけでもけっこう疲れる状態なのに
それがわからず談話室で延々としゃべり続ける見舞い客。

労いや心配の言葉はあるけれど
身を制してまで術後の無理を止めてくれるひとは
そうそういないという現実。

ひきつる傷跡をガマンしながら拭き掃除してても
周りはわからない。

「 今、職場に迷惑かけられない 」
と無理を押して職場復帰しても
後々現れる後遺症のことまで会社や職場仲間は
面倒みてくれない。

「 これ以上症状をこじらせて
  みんなに迷惑かけてはいけない 」
と、退院後のんびり生活していると
さもお気楽そうにと中傷される。

忙しさにかまけて医者に行かず
後々取り返しのつかない失敗をしでかしたり…。

誤解のないように言っておきたいことは、私は
「 所詮世の中なんて冷たいもの 」
と、周りを責めているのではないということです。

いくつか「冷たい」と思われる仕打ちをうけましたが
本当はそれは冷たいのではなくあたりまえな反応で
その多くは「 経験がないからわからない 」ので
反応しようがないんだ、ということに
後々になってきづきました。

もし、当時自分に
「 痛いからできない!」
とひとこと言える潔さだとか
「 こじれたら悪いから今のうちに休む!」
と誤解を生む前に根回しする知恵とか
「まわりのみんなに理解をもらって気持ちよく休みたい」
なんて自分が傷つくのを恐れることを捨て去る勇気だとか
「 上司はあんなこと言ってるけど
  絶対オーバーワークになる!」
という適切な予測と行動ができる判断力とかが
自分に備わっていれば、そして遠慮なく言えていれば
周りも案外すんなり理解してくれたり
自分が思うほど難色示すことはなかったでしょう。
また私も不必要に周りを責めることはなかったと思います。

「 なにもいわず黙ってことをなす 」
ということも、とてもスマートでかっこいいことです。
ただ、時には図々しく「 自分発信すること 」も
生きていくうえでは必要であると思います。

今一度。
「 本当の辛さは所詮自分にしかわからない。
  結局自分を守れるのは自分だ。
  ただ、そのためには何もかも自分で背負い込むのではなく
  人に助けを求め、甘える心をもつことも必要である。
  そしてそのためにはちょっと図々しいかなぁと思うくらい
  『 自分 』を発信することが必要だ。
  何もせずに人にわかってもらえないことを嘆いたり
  人から手をさしのべられるのをどこかで待つ自分があるとすれば
  それは甘え以外のなにものでもない。」

コレは病に倒れたときにだけ言えることではなく
生きていくうえでいつも言えることだということに
いまさらながら気づく私です。

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