2025年1月12日(日) 17:03 JST

今日のオフ


「今日こそ1日フルにつかって
 パソコン三昧だ!」

たぶんムリだろうと思ってたけど
ヤッパリムリでした(笑)。

2週間前に予定してたけど、不意の来客のためおじゃんになった
婦人科系の検診に行って
(ちなみに来客の名は「生野さん」といいます。
  ん?これって、下ネタ?
郵便局での未処理の用事や洗濯掃除、買い物やお昼の用意、などなど
気がつけばこの時間です。(シュン)
山積みになってた読破済みの本を片付けてたのですが
不意に開いた場所が上記写メ。

「あ、この時間はムダじゃなかったんだ。」
という安堵に似た気持ちと
「よし、残りの時間で少しでも頑張ろう!」
とちょっと明るくなった気持ち。
おっしょはん方からアドバイス頂戴しながら
片付けてないこまかい課題がいっぱいある。
今日はひとつでも解決すればよし、としておこう。

レッテル

よく
「あの子は一人っ子だからこうだ!」
とか
「片親だからあーだ!」
「中卒だからアホだ!」
なんてすぐに「レッテル」貼り付けちゃう方がいます。
短絡的にその人の人格を断定するのは好きでないので
あたしはなるべくその「レッテル」をはがして人を見るよう
心がけはしてるのですが、まだまだな部分もあります。
ミーハーやしね。^^;

ところがこの歳になってね
貼られちゃったんですよ、「レッテル」w。
「末っ子だからわがままだ。」というのがソレ。
どちらかというと「末っ子らしくない」と言われることの方が
多かったのでちょっと心外でしたよ。
で、ぬいいとさんはなにをしだしたかというと
「そんなことはない」とばかりに汚名返上に励みました。
でもね、そのうち疲れちゃってね。
そしてある日きづいたんです。

もともと人間って、多面性をもっている。
環境やその人のもって生まれた気質によって
その多面性の一部が増長されてそれが「性格」と命名されているだけ。
たとえば「我慢強い一人っ子」のひとがいたとしよう。
その人が10のうち8我慢する性格だとしても
残り2の部分で自己主張した場合、レッテルを貼る人は
その2の自己主張をあげつらって
「一人っ子だからあんなわがまま言って。」
なぁんて言うんだろうな

…ってなことにね。

で、そこからは方向転換。
「どうせなにをしても『わがままレッテル』貼られるんなら
 いっそのことわがままになっちゃいましょう〜♪」
以来、わがままぬいいとさんを自ら名乗るようにしました。
自分をよく見せるためだけの気遣いや遠慮もしなくなったし。
本人は楽になりましたが、その分まわりがしんどくなっちゃったかも?(笑)

三人の子育てしている四十路女でさえ
「レッテル」貼られるとこうなるんだな
子どもだとなおさらなんだろうな、なんて
「レッテルは安易に貼るべきじゃない」ってことを
この歳になって身をもって体験しましたとさ。
おしまい♪

子どもが笑う街

我が街の新人府知事さん、奮闘されてます。^^
機動力はみとめていたものの、どこか違和感があって
この方には投票しなかったんですが
府民に抜擢されたからには応援する所存でした。

…が。
やっぱりなんかまだ違和感があるなぁ。
慢性疾患の末期症状に陥ってる我が街をどげんかするために
奮闘してる姿自身は認めているし、このまま
邁進してくださればよいと思っていますが
彼が求める
「子ども達が笑う街」
にするための「核」となる部分が
少なくともぬいいとさんとは違うところにある
と、私は認識しています。
ま、府知事さんにすれば
「 ぬいいとさんと比べられてもなぁ! ┓(`へ´#)┏ 」
があるやろけど。(笑)

「子ども達が笑う。」
そのためには子どものために何かをするのではなく
「その子どもの一番そばにいる人(一般的には母親、例外もあり)
 が笑っている(満たされている)。」
ことだと私は思っています。
親が毅然としてなおかつ笑っていれらる状態ならば
仮に国が子どもを見放そうがなんとしても守ろうとする。
だがその親自身もこれまたもろいのも事実です。

府知事さんの家庭内は覗いたことないけど
おおよそ察しがつきます。
これ以上は憶測となるのでノーコメント。

ちなみに。
私は宮崎県知事さんが出馬されるときに
離婚を切り出した前夫人の判断は正解だと思うし
きよっさんには家族の反対を振り払ってでも
我が街の府知事さんになってほしかったと思っています。

結局、有名人の名前しかでてこないミーハーな自分が情けない。

形にのこす・3

形にのこす・1形にのこす・2から。
………………………………………………
市販のよく売れている総合感冒薬〔本〕「親の品格」
もともとこういう本を読もうとする人は
比較的精神状態が安定してるか
一時的に少し不安定になっている
〔軽い風邪をひいている〕だけだろう。

私が気になるのは、慢性疾患を真摯に受けとめていない患者さんだ。
医者から酒タバコをやめろと
再三言われてるにもかかわらずなんだかんだ理由つけて
自分を正当化してやめようとしない患者さん
〔自分を過信して人の忠告を頑なに受け入れようとしない親〕

行けない理由を探すかのごとく語っては
病院に行くことを先送りにし、病状を悪化させてしまう患者さん
〔忙しいことを正当化して一歩先の大事なことをおろそかにしてしまう親〕

そして海外に行って移植手術をしないかぎり
治る術がないような難病をもった患者さん
〔本人の素性とは全く関係なくいろんなアクシデント
 {幼少期に受けた虐待など}により問題が発生し
 自力だけでは解決不能となってしまった親〕
などである。

決して特異なケースではない。
かくいうあたしもエラそうに語ってるけど
部分的には当てはまってるし
自ら病状を悪化させてしまう危険は十分はらんでいる。
そしてその矛先は弱者に向けられてしまう。

要は親自身が「満たされてるか。満たされてたか。」だろうな。
金銭的なこととか、家庭環境だとか、そんなことじゃなくて。

なんだかここまで綴ってもイマイチ言葉が足らないような気がするけど。

ともかく
「親が変わらなくちゃ。」
なんて思う今日このごろなのである。

「子供なんて大嫌いだ!」
総合感冒薬ではビクともしない人の為に
処方箋を求む。

あ、文部科学省的には
「子供」じゃなく「子ども」やで。^皿^
(どぉでもいぃですよ♪)

形にのこす・2

少し間があいたけど続きを…(いつの続きやねん!)
……………………………………………………
最近、親愛なる友がweb上で本名を名乗って
ブログを再開した。
http://ameblo.jp/happy-clover-35

これまではHN〔ハンドルネーム〕で
自分の気の赴くままに日記やブログを綴ってらしたのだが
今回のブログは意を決したものがある内容となっている。

「とりあえず手探り状態で。」
といったニュアンスのコメントをしている友。
おそらくまだこれをどう発展させようか
なんてのはまだ確固としていないのかもしれない。

これから話はあたしの勝手な妄想紙芝居だが
彼女が今、形にのこそうとしてるものは
それそのもの単品では大きな威力を発揮する可能性は少ないと思うが
彼女が本当にやりたいことの必須アイテムのひとつとして

大きな武器になると信じている。
彼女が本当に求めているのは
「形にのこす」ことではなく、それを入り口にして
「とにかくまず対話する」ということだと思うので
そういった意味では「形としてのこる」といった方が正しいかも。
ただともすれば「本当にやりたいこと」よりも
こちらのほうが大きく化けてしまうかもしれない。
そんなことまでを想定して今回のブログは
ゆっくりでいいから慎重に、納得いく形で綴っていくのがよろしいかと思う。
なぁんて、エラそうにいうてるけど。^^
実は単純に楽しみにしてるだけです。

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