2025年1月11日(土) 18:07 JST

あしあと


これは職場(大衆食堂)入り口の自動ドアです。
で、これがその玄関マットに描かれている「あしあと」。
↓↓↓↓↓↓↓↓

実はここのところ自動ドアの反応がすごく悪くて
このあしあとのある部分しか
踏まないと開かなくなっちゃったんです。
35年間この自動ドアなのでガタがきても無理ないですよね。^^;
自動ドア前で地団駄踏むお客さまもいらっしゃるので
「ココ踏んでね♪」
という印にチョークであしあと描いたんです。
効果は・・・・まぁそれなりに。^^;
何も描かないよりはずっとマシです。
修理してもらうまでの急場しのぎに、のつもりだったのが
先日修理の見積もりをお願いしたところ・・・・
「 高っ。」
で、結局、本格的に壊れてしまうまで
このままで行くことになりました。(-_-;)
当分、「あしあと描き」が、開店前の日課になります。

「あしあと」 やっぱり頼りにしてしまいます。

ここ、1ヶ月ほど

かねてより、自分のやりたいこと(魂が悦ぶこと)は
認識していて、それにともなう自分のこれからの
身の振り方も、青写真は出来上がっていた。

ただ、そこに「報酬」をどう絡めるか、について暗中模索していた。
・今は時期ではないけれど、将来的なことを考えて準備をして
 これを生業とするような方向にもっていくか
・大きな収入は求めずとも、小遣い銭程度の収入が入るように
 労力に見合った報酬程度は貰えるように状況を整えるか
・完全に「採算度外視」とするか。

途中、必要にせまられて
【「よろずやred.2」(仮名)お立ち上げ~。】
となった時に、「報酬」を求める方向に進みかけたが
何をしてもどこか「潔くない自分」というものがつきまとっていた。

ここ1か月、いろいろあった。
ちょっとしたいさかいもあった。
他山の石を求めていろんな山を歩くうちに
最初わかっていなかったことが、頭でわかるようになり
そしていろんな力を借りて最終的にはようやく体の中に
インストールされた。

やっと一つ答えが出た。
「将来、無収入になったときのことや、
 体が思うように動かなくなった時のことを
 考えるのは、もう、やめよう。」
思ったより案外さきのことかもしれないし
明日、突然そうなってしまうということだってある。
そうなったときは、そうなったときだ。

「旦那にパラサイトしてる人は、気楽でいいよな。」
その通りである。(笑)(笑)
いまだからこそ、その状況に甘えて心おきなく動いておきたい。

とりあえず、「採算度外視」の方向で。
あ、でも、合法的に入ってくるものは拒まない。(笑)

当面の課題は「 いさぎよく。」

ここ数週間のいろんな出会いに感謝!!
中谷彰宏
井村雅代 先輩
水谷修氏
熊田あつし氏
2次会にお付き合いくださった友
もろもろのできごとを経験させてくれた天の神様

夜回り先生講演会

行って来ました♪ ^^v

詳細は、大幅に はしょっちゃいますが(省いちゃいますが)
検索すれば氏に対する事柄が、賛否両論いろいろ出てきます。
以下、夜回り先生・水谷修氏に興味のない方はスルーしてください。
(お役所仕事みたいでごめんね。^^;)
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こんな書き方をしたらおこがましいかもしれないが
私がいま、危惧しているものや、向いている方向は
夜回り先生や、この会の主催者である熊田あつし氏と
同じなんじゃないかと思わせる、そんな講演でした。
子どもが笑う街
ただ、抜本的に違っていることは
「私は思うだけで、なにもしていない。」
ということ。
夜回り先生が夜の世界に身を投じた子どもたちに注ぐ愛情は
いまのところ、私にはわが子に注ぐだけしかありません。
さて、私にはなにができるんだろう。
夜回り先生や熊田氏の何万分の1しか力はないけど
わが子で精一杯だけど。
まず1番の課題は「よその子も叱る」ということかな?
微々たる事だけど、わたしには結構高いハードルです。

なにはともあれ、ここでもなにか一皮むけたように思います。
勘違いかもしれないけど。^;

もりたけんさくぅ〜〜〜?

千葉県知事選で森田健作氏が当選した。

旦「 知名度で圧勝やな。」
ぬ「 59歳かぁ。いつまでも若いなぁ。」
なぁんて朝のワイドショー見ながら話をしてたら
横から笑が突っ込んできた。
「 この人、いったい何なん?」

(´ー`)ヾ そやな、あんたにゃわからんわな。

今は政治活動に専念してらっしゃるけど
その昔は「 青春 」の代名詞といわれた超売れっ子俳優さん。
ぬいいとさんも小学生の時は「 俺は男だ!」を
リアルタイムで毎週欠かさず見ていた。
歌も結構たくさん歌っていて、何曲かヒットもとばしていた。
実姉・keshidamaさんにいたっては
完全にモリケン(同氏の愛称)のとりこになっていて
当時の小学生が購入するには破格な
モリケンの2枚組アルバムを
なけなしのこずかい叩いて買っていたのを覚えている。
「 さらば涙といおう 」
は我々の世代以上の人間ならば誰でも口ずさめる
と言っても過言ではない。

…ってなことを笑に伝えたくて、ふたこと三言解説するんだけど
ボキャブラリーが足らずに今ひとつ笑はピンとこない様子。
少しひねって、こう言ってみた。
「 今で言うたら、上地雄介がこの歳になった頃に
  政治家やってる、ってかんじかなぁ〜?」
(*^ー^)b…やっと要領を得てくれたようだ。

イチローさんは小学生の
「 どうすればイチロー選手みたいになれますか?」
という問いに
「 気乗りしないことをやろうとすることは
  後々になって大きな力となる。」
ということをその小学生にインストールするために
「 ちゃんと宿題やろうね。^^ 」
という言葉を使った。
「 伝えたいことがあれば、その人の目線に合わせる。」
なかなか難しいけど、常に心したいと思う。

魂が悦ぶこと

三つ目の山を越えた時のお話。
「ここ数年、パソコンでいろんなことやってみたけど
 私が心底からやりたいことって
 こういうことなんだろうな、ってなことに
 最近ようやく気づいた。
 いや、思えば五年前、「アレ」をやったときに
 気づくべきだったのかも。
 「アレ」の詳細は後日あらためて…」

その「アレ」のお話を少し。
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Y太が幼稚園最年長さんの年、6月の時のこと。
Y太のダチママである仁ママがこんな提案をしてきた。
「 ぬいいとさん、子どもたちのアルバム作らない? 」
子どもたちが卒園するときに、手作りのアルバムをつくって
先生に贈りたい、そして、同じものをクラスのみんなにも
配ってあげたい、というものだった。
別の幼稚園に子どもを通わせている仁ママの友人が
過去、実際にやっていたことで、実物までみせてもらい
少なくても仁ママの頭の中ではすでにアルバムの概要が
出来上がっている状態だった。
「 ただ、私ひとりでは到底でけへんし、絵も描かれへんし・・・。」
という仁ママのなにか言いたげな目を見て、私は即答した。
「 やろっ。 ( ̄ー+ ̄) 」
サンプルアルバムを見てかなりの大仕事になるということは
容易に察しはついていた。
以前の私なら二の足を踏んでいただろう。
しかしそのときはちょうどPTA給食委員会の委員長として
給食試食会を取り仕切る、という仕事を終えた直後だった。
物事をやり遂げるための準備、人をまとめるためのノウハウ
自分がアクションを起こさない限りなにも動かないというプレッシャー
そういうものをすべて認識したばかりだった。
「できる。」
という確信があった。
なにより
「ぜひやりたい。」
があった。

そして卒業を迎えるころ・・・・できた。
( ドテっ!Σo(_  _ o) あいだ、はしょりすぎ!!)
百聞は一見にしかず。
出来上がったアルバムの中で
私の一番お気に入りのページを掲載します。
(画像をクリックしてね♪^^)

注釈・この年、運動会の鼓笛隊行進で流れていた楽曲は
   「世界にひとつだけの花」と「鉄腕アトム」でした。   

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