2025年1月11日(土) 12:19 JST

いざ!九州へ(雑談)

その1・ヘンな家族
めったに行かない家族旅行なのに
実は家族が写ってる写真がほとんどない。(笑)
みんな被写体になるのがすこぶるイヤなのだ。
そこに加えてみんながみんな撮る側にまわる。
我が家にひとりナルシストがいれば
とても幸せ者だったろうになぁとおもう。

だいたいみんな同じようなアングルの写真なんだろうが
その中でもオリジナリティあふれるショットを
みんなのデータの中から探すのがまた楽しみである。

連行


私の家族


その2・なぜにJRA?

土日に来ればわかる。

その3・生ザ・たっちに遭遇

やっぱり小っちゃかった。(オマエガ イウナ!)

その4・それ、私がやろうと思っていたのに!

↓ ↓ ↓ ↓ ↓


その5・すいてる
盆明けの平日ということでガランガラン。
いつもはどんなんなのか知らないが
とにかくどこ行くにも並ばずに入れた。
それでもハウステンボスの予習を怠ったがために
いくつか失敗をおかしたのが心残り。
まぁ
「 少しくらいの心残りがあったほうが
  次につながる。 」
ということでかたづけようと思う。

その6・もう一泊したい!
…いたしかたない。
仕事の都合で一泊が限界だ。
私的には
「 私の休みに合わせて休暇をとってくれた
 旦那様に、ただただ感謝! 」
である。

その7・嵐を呼ぶ女がいたけど…
なにより、お天気が良くてよかった~。

その8・動画アップしたいけど・・・
ようつべ、うまくアップできなぁい!(><)

・・・・・よっしゃ、今回はこれくらいにしといたろ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


あ、やっとできた。(;^_^A゛

いざ!九州へ(長崎編)

博多駅をあとにしていざハウステンボスへ!

ハウステンボス駅。

前に一度ここへ来たのはもう20年くらい前かなぁ?
確かおやじと母いとさんと3人で
「 バブルの旅 」でした。(笑)
今回の旅も珍しく奮発して「 バブルの旅 」
に負けじと劣らぬ旅でしたよん。( ̄ー+ ̄)

お泊りのホテル。

語るのも億劫なので、写真アップしまくります。
(写真をクリックすると、元のサイズの画像が出ます。)

クルーザーからの景色
 

街並み
 

ホールン教会


チューリーちゃん


お花畑


お話はまだまだ続きます。^^

いざ!九州へ!(博多編)

お盆明けの平日、家族で九州への1泊旅行へ。
世の中が
「 いかに千円で旅にでるか 」
ってことに熱くなっている中
長崎ハウステンボスまでの電車での旅。


新幹線で博多駅に到着、そこで2時間半の滞在。
昼食はデビット伊東が経営してるというラーメン屋さん「でびっと」で。


その後1時間半の空き時間が。

「博多駅で電車を見て過ごす」と男性軍ふたり。

「つきあってらんねぇ~。」と女性軍はタクシーに乗り込んで
「福岡タワー」を目指すも、ぬいいとさんの胸中は
「できれば恩師にも会いたいなぁ」という気持ちもあり
時間との兼ね合いもあって判断に迷っていた。
(恩師は福岡タワーと目と鼻の先にお住まいである。)

乗り込んだタクシーの運ちゃんは、これまた奇遇なことに
12年前まで大阪にお住まいだったという
アラフォーイケメンバツイチ運ちゃん。
( よくも短い間にここまでゲロさすか? )

浪花ネタで盛り上がったあと
・福岡タワーに行くんだけど、私だけは
 「にしじん」というところに住む恩師にも会いたいこと
・恩師にはアポとってないので会えるかどうかわからないこと。
・2時までに博多駅に戻りたいこと
などを告げると、運ちゃんはちゃっちゃーと行程組んでくださった。。

私を恩師宅前でおろしぃの
娘ふたりを福岡タワーまで送り届けぇの
また私を拾いぃの、娘たちを拾いぃの
私たちとって無意味な走行は
メーターは回さず走り回ってくれぇの
最後はちょうど良い頃合いに博多駅に到着しぃの
本当に良くしていただいた。多謝!!(-人-)

あ、そうそう、恩師にも無事ごたいめぇん!
中学、高校とバスケットボール部に所属していたときの
顧問の先生「 いいせん 」(ダレヤネン?笑)
とてもビックリしておられた。( アタリマエ )
今年喜寿を迎えられたという先生。ちょっと心臓に悪かったかしら?(笑)
その歳なりのご苦労は抱えられてたけれど、まだまだ凛々しいご様子。


玄関先で十数分の会話だったけど、なによりお目にかかれただけで
もう旅の半分は終わったような気に。
時間があれば他にもお会いしたかった方がいたのですが
残念!タイムリミット。
少し後ろ髪を引かれる思いでハウステンボス号に乗り込み
博多駅をあとに。

ハウステンボス号

天の声、なんだろうな。

先日まっちんママからもらった取材写真入りのCDが
いつの間にかなくなってしまった。
「 おかしいなぁ〜、確かこの辺に置いといたんだけど。」
と、かねてより郵便物やプリントで
ゴチャゴチャしてた「 食器棚 」を整理がてら探す。
目的のCDは結局見つからなかったが
変わりに6月中に区役所に提出しなければならなかった
「 児童手当現況届け 」や
期限切れ間近の
「 4000円の定額小為替 」
が出てきた。
CDがなくならなければ今も気づかず
そのままだったろう。
「 CD紛失 」は
「 ちゃんと整理整頓せぇよ!」
という天からの声なんだろうな。^^;
まだCDが出てきていないということは
まだまだ整理整頓せなアカンところが
あるっちゅーこっちゃろな。^^;;;
………………………………………
ラジオ体操のお当番に行った時のこと。
広報紙の取材をしてくれた委員さんから
預かった取材用カメラをウッカリ学校に
置き忘れて帰ってしまった。
カギは閉められたあとだったので
後戻りもできず、結局日時をあらためて
お昼の先生方がいらっしゃる時間帯めがけて
カメラを回収しに行くことに。
相棒のまゆみさんが
「 私、いってきまぁす♪(^O^)/ 」
と、お気遣いメールをくれたが
「 あ、ついでがあるので私が行くね^^ 」
と、ぬいいとさん。
「 ついで 」とは、広報誌とは別の
町内会かわら版のための取材。
実は少し億劫に感じていた取材だったので
ついつい伸び伸びになっていた。
「 取材カメラの置き忘れ 」は
「 先延ばしにせんとチャッチャと行かんかい!」
という天からの声なんだろうな。^^;;;
…………………………………………
普段からなかなかゴミ箱を洗わないと
ある日突然破れたゴミ袋から液が流れ出て
洗わなしゃーない状態に追い込まれたり
台所の床の掃除が長らく行き届いてないと
大量のお茶ひっくり返して床一面拭き掃除せな
アカン羽目になったりすることが、ままある。
そんなときはいつも思う。
「 これは天からの声なんだろうな。^^; 」
さて、今日は何年も前からある出前チラシが
ワンサと突っ込んである棚の整理でもするか。
失せもの、でてくるかなぁ〜。(-_-;)

ひまわりが…

毎年兵庫県南光町のひまわり畑が
ローカル番組で報道されるのをみて
「 あ!行きたい!」
とは思うものの、オンエアされてから思い立った頃には
もう見頃がおわっているので
いつも思いを遂げずに終わっていた。

そこで、思うだけでは叶わないと今年は夏休み前から
タイミングを見計らっていたのだが
長梅雨で天候に恵まれなかったりいろいろあって
気づけば8月に突入、立秋を迎えようかとしていた。
「 南光町のひまわりはもう無理やなぁ 」
Y太とそんな話をしていたら、テレビで
今が見頃のひまわり畑の様子がオンエアされていた。
早速ネットで検索、そして私のオフの日に
なんとかまだひまわりが咲いていそうな町が
かろうじてひとつだけあった。
「 当日お天気が良くてまだ見頃なら行こうか?」
なぁんて言ってたのだが…。
町の名は「 佐用町 」。
昨日からテレビに映るその町では
住民の方々が土嚢積みに必死だ。
ひまわりどころじゃない。
……………………………………………
先日、親愛なる友が旅のみやげを持って訪ねてきてくれた。
「 霧がスゴくて一歩先も見えなくて〜。」
それでもなんとか富士山が拝めたお話など
みやげ話でこちらもホッコリした気分を味わうことができた。

今朝、その旅先だったところで大きな地震が。
おまけに台風まで接近している。
車いすを携えての家族旅行。
あおりを受けた方にはもうしわけないが
友の旅が今日でなくてよかった。
…………………………………………
少し前の話だが、皆既日食を前にして
私が案じていたことのひとつに
「 その日に台風が来ないだろうか?
  津波や大地震が起こらないだろうか?」
が、あった。
曇り空の中の皆既日食も素晴らしいと聞いていた。
その気になれば一年後に異国の地で
ダイヤモンドリングを見ることも可能だ。
でも大事故がおこってしまうと目も当てられない。

前日にはその皆既日食を楽しみにしていたかもしれない
施設のご老人たちが、土砂崩れでたくさん亡くなられた。
「 今日という日は、昨日亡くなった人が
  あれほど生きたいと願っていた日だ。」
タイムリーにそんな言葉を目の当たりにする。

「 皆既日食の島 」からの中継で
46年前の皆既日食を見て
宇宙を目指すことを決めたという毛利衛さんが
どんより曇ったそぼ降る雨のなかで
語ってらした言葉が印象的だった。
「 皆既日食を体験すると本当に
  自然の偉大さを肌で感じることができます。
  また、まさしく今こうやって小さな傘をさしながら
  日食を待っている自分自身をひとつをとっても
  お天気さえもどうすることもできない
  大自然のまえでは人間なんてとっても小さいものなんだ
  っていうことを思い知らされるわけであります。」
…………………………………………
「 生きててなんぼ。」
ちなみに、娘の帰宅が予定よりかなり遅くなり
とってもとっても心配になったとき
ぬいいと母が娘に送るお伺いメールは
「 生きてるか? 」
とたった一言である。
相手に負担にならず、こちらが知りたいことだけを伝える
格好の言葉だ。

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