2024年12月24日(火) 04:30 JST

あたいの家族

Y太・出産ドラマ②(お産編)

そんなこんなで激動の妊娠中期を終えて妊娠後期に突入。
妊娠中から何かしら上ふたりの姉たちの時とは
ビミョーな違いがあった。
食べたいもの、飲みたいものが
上ふたりのときと違う、だとか
上ふたりのときは欲しくもなかったおビールが
ちょっと飲んでみたかったりだとか。
上ふたりを妊娠中の時は尋ねなかった胎児の性別。
( 出産ドラマ
3回目となると、もし女なら( 旦那の )心の準備の都合が
そしてもし男なら服の準備の都合があったので
胎児性別的中率100%の先生に意を決してこの時期にお尋ね。

先生「 …男の子ですね。」

やっぱり。
女3人の中で育った私にとっては男でも女でも
どっちでもよかったけど、旦那は喜ぶだろな。
………………………………………………
術後から臨月までは平穏無事に過ごせた。
そして1月のとある日の早朝に
約5年ぶりに陣痛がやってくる。
幼いこどもふたりをつかの間家において
旦那の運転する車で実家近くのかかりつけ医へ。
「 ほな、がんばれよ 」
と言い残して旦那は速攻帰路についた。
ラマーズ法も慣れたもの。
そういや手術のあとのどえらい痛みも
なぜかこのラマーズ法で乗り切った。
その後、今日この日までいろんなケガやアクシデントがあり
息が止まるほどの痛さを何度か経験したけれど
すべてこのラマーズ法で乗り切ってきた。
ラマーズ法、ブラボー!(笑)
で、そろそろみたいなんだけどなぁってな時に
看護婦さんから
「 ご主人呼んでみたら? 」
と電話の子機を渡された。
これまで頑なに「 出産の立ち会い 」を拒否ってた旦那。
特に立ち会ってほしいとも思わなかったが
おそらくこれが最後のチャンス。
一生に一度できるかできないかの体験なので
旦那に打診してみることにした。
受話器のボタンに指をかけた瞬間…
「 あ゛~~~~~~!いだだだだ~~~~~っ! 」
子宮口で破水したのが自分でも明らかにわかった。
3回目である。あとの進行は早かった。
いきみも上手なものだ。
4か月前の手術のおかげで怖いものなしである。
そして・・・
「 ハイ!12時ジャストです!おめでとう♪」
院内に出産時お決まりの
「 ハッピーバースデー 」
の音楽が鳴り響いた。
狭い産道をくぐりぬけて出てきたわが子に初めてかけた言葉は
「 おつかれさぁん!(お互い)しんどかったなぁ。^^ 」だった。
結局旦那の立ち会い出産はお流れに。
今にして思えば父と息子の絶妙なコンビプレーだ。
………………………………………………
次の日の授乳室で疲れ切った様子のママさんに出会った。
聞けば私が入院した前の晩から入院していて
私より遅く、夜にやっと産んだとのこと。
丸1日かけてのお産、しかも初産だ。
疲れるのもあたりまえだのクラッカー。( 激古 )
その愛らしくもどこか芯の通った印象のあるママさんが
私を見るなり、「 あなたでしたかぁ。」
と、ため息混じりに言った。
自分が延々と陣痛に苦しむ中、となりの陣痛室では
自分より後から来てちゃっちゃと先に産んでいくし
看護婦さんからは
「 おとなりの妊婦さんはもう3人目なんですよ 」
と聞かされ
「 こんなしんどいこと3回もやって
  しかも、あとから来て
  ちゃっちゃと産んでいくおかあさんて
  いったいどんなヤツやねん?!」
と陣痛に苦しみながら思ってらしたらしい(笑)。
ママさんとの会話は続く。
マ「 12時ちょうどに産みはったんですよね? 」
ぬ「 うん、そぉよぉ。^^ 」
マ「 ですよねぇ!
   12時ちょうどにハッピーバースデーの音楽流れて
   『あ、おとなり、産まれたわ。』
  って私が言うてもウチの旦那、信じないんですよぉ。
  『そんな12時ジャストに生まれるわけがない!
   コレはお昼ご飯の合図の音楽や!』
   とか言うて~。(笑) 」
何度かこのママさんと授乳タイムを共にしているうちに
看護婦さんのこのママさんに対する反応が
イヤにハイなことに気づいた。
どうやら駆け出しの若手芸人の奥様らしい。
ミーハーぬいいとさんの血が騒ぐ。
「 ごめんねぇ~。子育てにまみれた生活してたから
  世の中のことにトンと疎くて~。
  ご主人、なんていう名前で出てはるの?」
ママさんの口から出た芸名は、本名の名字そのものだった。
ぬ「 わかった♪今度テレビで見たら
  陰ながら応援しとくわね~。」
マ「 あ~!ウチの人、あきませんわぁ~!
  だって全然おもんないしぃ~!
  たぶんそんなに伸びませんよぉ~。」

うん、確かに。・・・と数年後納得する。(笑)
その後、彼女のご主人はM-1覇者となり
「 おもろないスベリギャグ 」
を連発しながらも、その甘いマスクと憎めないキャラで
今やヘキサゴンファミリーの一員として
頻繁にお茶の間のテレビに登場している。
しもた。入院中に写真の一枚でも撮っときゃよかった。

笑の野望

笑の選択( 2年前を回顧
の、続き。

最近の高校は、早い時期から卒業後の進路について
学校側からお伺いがくる。
「 進学しないで漫画家のアシスタントになる。」
だとか
「 やっぱりとりあえずアチコチの大学見てから。」
など、1年、2年といろいろ揺れていた笑が
ここへきて的を絞ってきた。

「 おら、東京さ行ぐだ。」
東京にある猫みたいな名前の芸大に行くとな。
「 浪人覚悟で受験しないと 」
とは笑の弁。
合格者の七割が浪人生だそうだ。
受験生は粗方その手の塾に行くのが当たり前。
ただ絵を描くのが好きなだけでは踏み込めない
そのような世界のようだ。

笑「 ひとり暮らしもしてみたいし〜。」
ぬ「 なぁ〜にぃ〜ぃ?!ひとりぐらしぃ〜?!
   …おかんもしたいぞぉ!!」
いや、そういう問題とちゃうやろ。

笑は塾代や入学してからの授業料など
お金のことを気にしているが
親のスタンスは
「 出来る限りの支援はするけど
  無理な部分は自分で調達してね♪」
そして笑のスタンスは
「 足らんかったら私の貯金使って。
  それでも足らなかったら自ら稼ぐ。」
である。
ただ、心配なのは…予想以上に金かかる(笑)。
ま、まま、家族みんなが元気ならどうにかなるやろ。
いや、どうにかする。
どうにもならなくても命までは取られないだろう(笑)。

公立高校無償化、そんなんいらんで!
の考えは変わらないけど
「 郷に入らば郷に従え 」(笑)
頑なにならず国民として受けられる恩恵は
ありがたく頂戴して、浮いたお金は塾代にまわすか
進学資金として積み立てよう。
背に腹はかえられませぬ。

1月から週一で塾に通い出した。
6時間、絵描きっぱなしだそうだ。
こんな形で我が家に受験渦がやってくるとは。
春からは時間は短くなるけど週5になるらしい。
世の受験生がほぼ毎日深夜まで塾通いしていたのを
「 あんなに詰め込んでパンクしないのかしら?」
などと他人ごとながら心配して見ていたが
他人ごとじゃなくなってきた。
「 毎日そんだけ絵描いててイヤになれへん? 」
の素朴な母の疑問に
「 それ以前にやらなアカンことやし。
  私、デッサンへたくそやし。」
と答える笑。
デザインやる人間が集結している高校に身を置いている。
自分の腕がどんなレベルなのかは本人が一番良くわかってる。

母の心配はひとつ。
からだに無理がこなければいいんだけど。
まぁ、まずは見守ろう。

コレ、忍ばせてます


2010年に笑が出した年賀状。
母はものすごく気にいりました。

「 おかんにも送って〜!」
…素無視の笑。

ぬ「 σ(^-^;) ま、わざわざ送らずとも
  パソコンにはいってるわな。
  勝手にプリントアウトしていい?」
笑「 どうぞ勝手にしてぇ。 」
ぬ「 ブログで御披露目しちゃダメよね?^^; 」
笑「 それはアカン。」

なぜかいつも携えたい衝動にかられたので
いつも引っさげてるポーチに入るくらいの大きさにしようと
少し小さめにプリントアウトするつもりが
なぜかこんなにちっちゃくなっちゃいました〜(笑)。
まぁ、これも幸い。
ポーチよりももっといつも持ち歩いてる財布に
忍ばせることにしました。

てなことで、アカンといわれたけど
これくらいならセーフ?
実物見たい方はお会いした時に。^^

笑の選択( 2年前を回顧

高校入試で志望校を決める前から
「 高校行ったらバイトする 」
ということだけは決めていた笑。
加えて笑には大きな野望がありました。
比較的選択肢がひろかった中から選んだ高校は
先生初め、周りの人間がのけぞって驚くような高校。
( それでもその道では名のある高校、とあえて注釈w )

「 絵でメシは食っていけんやろ〜。」
という先生の言葉にちょっと親もカチンときたけど
世の中的には先生のご意見は真っ当です(笑)。
「 一応それなりのいい学校出ておいて
  それからその道に入ってもいいんじゃない?」
なんていうチンケな保険をかけて臨んだのでは
とうていなし得ないほど笑の野望は大きいと判断するに
さほど時間はかからず( 私は小一時間くらいかな? )
両親は比較的アッサリ彼女の希望にOKを出しました。
私立も受けず、これまたアッサリと希望校に合格。
笑にとっては激動の、そして傍観者である私にとっては
オモロい高校生活が始まりました。
……………………………………………
彼女の夢には技術も必要だけど、それより大事なのは
内面を豊かにすること。
バイトもその一貫と私の考えにはありました。

最初に面接に行った時給900円の丼屋さんでは
あえなく撃沈、次に行って決まったのは
母校のすぐそばにあるファミレスの接客バイトでした。

時給730円。

これからの世の中で幾多の荒波に揉まれて行くであろう笑にとって
初めて働くのにこれほど好都合な条件はないと
笑には申し訳ないけれど母はちょっと安堵しました。

めちゃくちゃ不規則なシフト
試験前、試験中でもお構いなしにお呼びがかかる
土日祝に「ぼんくれねんし」はドップリ仕事モード

それでも笑ならやっていけるだろうと思ってはいましたが
「 問題は勉強と健康 」と案じていたぬいいと母。
「 とにかく欠点取って留年!だけは避けてくれぃ!」
というハードルだけは与えたのですが
ハードルどころか走り高跳び並みに彼女はがんばりましたよ。
勉学に関してはレベルの高くない学校ですが
ほんまにどこで勉強してたんやろ(笑)。

最初は両立は無理だろうとあきらめていたクラブ活動も
体育会系のわりにはユルユルしたペースだとわかるやいなや
硬式テニス部に入部。

またある時は「 マンガスクールに行く 」と
自腹で29万円払ってお絵かき教室通い。
ちなみにこちらは中途半端に終わりそうです(笑)。
ま、自腹なので親は「 我関せず。」

学校、バイト、テニス…すべて笑がやりたかったこと。
そのへんを踏まえてこの学校を選択したのはビンゴだし
最初は戸惑いがあったもののアッサリOK出したことに
親としての判断も狂いはなかった…と確信しています。
何より…うらやましいくらい充実しとる(笑)。
きっとすぐそばにある「 近くて遠い超難関高校 」や
「 よしもとくんが通ってた高校 」では
笑のキャパではどれひとつとってもできなかったでしょう。
( その前に受けても受かってないやろけどw )

さて、「 受験なんてなにさ、塾なんていらん 」の姿勢を
貫いていたその笑が高3を目前に控え
一転!受験モードに突入しました!
笑えるくらい、「 受験モード 」です。
笑は突っ走ってますが、親は着いていくのに必死です(笑)。
また追々綴ります。

ぬいいとさん、引っ越すの?

昨日の朝、ほんとに些細なことで
旦那の機嫌を損ねてしまった。
私の「 行ってきまーす 」のあいさつに
背を向けたまま返事もしない。

「 私が帰るまでに機嫌なおしてくれてるかなぁ。」
その日は一日少し気分を重くしながらお仕事遂行。

お勤め終えて帰宅すると、旦那さん真顔でひとこと。
「 すべて処分するからその前にチェックしとけよ。(`_´)」
部屋にあがると所狭しと見覚えのあるモノたちが並べられてる。
押し入れの中を一掃したらしい。
おまけに子どもたちの寝室は家具やベッドが配置がえされ
完全にレイアウトが変わっていた。

「 腹いせに家内一掃と模様替え 」

…実に健全な旦那様だ。(笑)

心配なのは、たまに旦那様が整理整頓すると
必ず何か大事なものがひとつなくなること。
今回はないものとおもいたいのだが…。

結局「 押し入れの肥やし 」は
ゴミ袋7袋分にものぼった。


ゴミ収集の日にこうやって家の前に
ゴミ袋が大量に並べられると
決まってご近所や学校で立つウワサがある。

「 ぬいいとさんち、引っ越すの? 」

オチオチごみ出しもできない(笑)。

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