2024年12月24日(火) 11:14 JST

どんな気ィ?

救急外来の待合室でベンチに腰掛けてたら
前方の壁にこのようなものが。


遠目には判りにくいですよね。
では拡大。
向かって左の扉はコレ。

はぁはぁ、「 酸素 」がここから出てくるのね。

ほんで左は?

ハイハイ、「 空気 」ですか。
何かあった時に必要なものなんでしょうかね。

さて、そしたら真ん中の扉は?

(・_・)))))))エッ..?なに?
…「 笑気 」ぃ?!

今、置かれている状況を忘れて
「『 笑気 』とは、なんぞい?!」
と、そのことばかりが気になってしょうがなかった
不謹慎なぬいいとさんであった。
ほんま、なんやろ。
さて、お仕事オシゴト♪

せんばやしネタ

最近Facebook上で交流が復活しているとあるお友達が
こんな記事を書いていた。

「 私、幼いときから大きな鯉のぼりが怖いんです。
  大人になった今でも鯉のぼりの側を通るときは緊張します。
  小さいのは大丈夫なんですけどねぇ。」

(゜∇゜)へぇ〜〜〜〜〜!
私の知っている限りではこのような方は初めてだ。
このあいだ探偵ナイトスクープで
「 モナリザの絵が怖い 」
という若男子がいたが、人の苦手なものって
ホントに様々だ。

このお話を職場の実姉・ keshidama さんに御披露目。

ぬ「 私の友達、ホラ、せんばやしに嫁に行った子おったやろ?」
ke「 あ〜、家具屋さんの?」
ぬ「 そうそう、その子な、鯉のぼりが苦手やねんてぇ。
   苦手なもんって、ほんま人それぞれやなぁ。」
ke「 あ、私もやでぇ!」
ぬ「 えぇ!そうなん?知らなんだわぁ!」
ke「 私も鯉のぼり怖いねん。
  遠目に見てる分にはそうでもないねんけどな
  なんかあの柄がな、アカンねん。
   下ろして地面に横たわってたりしたら、もう…
   ぃゃ〜!あかんわ。(笑)」
ぬ「 小さいのは大丈夫?」
ke「 あ、あの棒のとこに金平糖入ってるヤツ?
   あれはな、大丈夫やねん。」
こんな灯台下に同じ質の方がいようとは…笑けた。

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先日おはぎをお買い求めのお客さんが、私に向かって
話しかけてこられた。
客「 あの〜、間違ってたらスミマセン。もしかしてアナタ
   せんばやしのちからもちで働いてはりませんでしたか?」
ぬ「 いや、ないですけど…なにか?」
客「 そうでしたか、私、実家がせんばやしで
   そこのちからもちにちょこちょこ行っててね
  よく似た店員さんがいてはったもんで。」
ぬ「 あ〜、せんばやしのちからもちは私のいとこが経営してて
   その兄弟姉妹、ようするに私のいとこになりますけど
  そのいとこのお姉さん方がちょくちょく手伝いに
   行ってたみたいですよ。
  血ィ繋がってるんで、ひょっとしたら似てるかも(笑)。」

今までにも
「 長堀のちからもちの大将とここの大将がよく似てる。」
( 兄弟だからアタリマエ )
だとか
「 ちからもちの大将が女装してた 」
( それは洗い場を手伝いにきてたてんまのおばちゃんや!)
だとか
ウチの内情を知る由もない方からの
「 血は争えない話 」
が、ちょくちょく登場することがあった。
せんばやしにまで派生するとは…笑えた。

笑の受験回顧

長くなります。
退屈ならばスルーしてくださいまし〜。

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笑が以前の大学に通っていた時のこと。
一年生の終わりの頃、しみじみとこう洩らしたことがあった。

「 卒業してから気づいてんけど『おこげ高校』の授業内容って
  かなりレベル高かったなぁって今更ながらに思うわ。」

笑の通っていたおこげ高校は工業系および芸術系のデザインを
学ぶ高校で、笑はそこで建築デザインを学んでいたが
自由勉強的に同じ校内の美術科の生徒に混じって
デッサンのレッスンを受けたりもしていた。

一年間大学生活を過ごした笑のこの言葉が今にして思えば
2度目の大学入試の序章であった。

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大学ではCG(コンピューターグラフィック)を専攻
バイトに勤しみながら課題もきっちりこなしていた。
そんな笑がある日の昼下がりにごはんを食べながら
唐突に、とつとつと、とりとめもなく話をしだした。

「 今、学費って、どのくらい払ってるん?」

「 CG学ぶ前にもっと基本的な、『美術とはなんぞい?』
  みたいなことを学ばなあかんような気がする。」

などなど、いろいろお話するんだけど、核心に触れる部分が
言い出せないでいる様子なので、こちらから切り出した。

「 要は、受験し直したいん?」

ビンゴ。

「 学校行きながら受験勉強するのは無理があるやろ。
  どうするん?辞めなアカンのとちゃう?」

そやなぁ。

「 今大学でやってることはやりたかったことやろ?」

それはそうやねんけど、それ以前のもっと根本的なこと
例えばデッサンだとか、そういう学習がほとんどないねん。

「 せっかく入った大学やし今やってることも決して無意味では
 ないと思うで。今の大学で足りない学習は今もちゃんと
  自分で考えてやってるやろ?
 (近くのデッサン教室に通っていた)
  それじゃ、あかんのん?」

それでもいいねんけどそのために年間150万払うのは高すぎる。

…といった具合だ。
私の首を縦に振らせた決定的な言葉があったが
それは当時通っていた大学を否定する言葉にも
つながりかねないのでそこはカット。
私は以前の大学を否定するつもりはさらさらない。
むしろ感謝さえしているし、笑もきっと同じだと思う。

大学に退学の旨を伝えたら、なにもそんなに慌てなくてもと
「 休学 」を勧められ、そうすることにした。

以上、約1年前の6月半ばのお話。

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狙いは国公立、というのは最初から決めていたようだ。
生活に困ることはないけど大きな贅沢もできない家計である
ということは笑もよく知っている。
もちろん奨学金のお世話にもならなければいけない。

近場で自分にしっくりくる大学があまりなかった
というのは高校の時のリサーチでわかっていた。
今度の大学選びは全国範囲に渡ると容易に察せた。
遠方の大学を選んだとしても、国公立ならば背中を押せる。
母にもうちょっと財力があれば私立も選択肢に入れれたろうに。
茨の道を歩ませることになるけど、頼む!
と、心の中で手を合わせる。

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「 予備校、行くん?」

あ〜、一応。
勉強は自力でどうにかなりそうやけど、実技は無理。
情報も全くわからんしやっぱり予備校で教えてもらわんと。

「 そうか。ほな悪いけど、予備校その他受験に関する費用は
  すべて自力でお願いしまぁ〜す。m(_ _)m 」
……………………
そこまで出していたら今度大学に行った時の学費が危うい。
なんやかやいうても家族の中で1番のお金持ちは笑である。
親のメンツは捨てて、潔くお願いすることにした。

2度目の大学選びは実に精力的だった。
京都、金沢、茨城、広島…は、行ったっけ?
自腹ゆえ、心置きなく巡れる
と、手前に都合のよいように解釈。

予備校の夏期講習でそろそろ志望校を決めるように言われた。
受験素人の私には「 もう?!」があったが
大学によって学習に力を入れるか、実技に力を入れるかで
勉強方針が180度変わってくる、と言われ納得。
いろいろ迷った結果、笑が選んだのは
「 とにかく勉強に力を入れなければならない 」
という道だった。

デザイン系高校での3年間含めこれまでのブランクを考えると
半年で合格ラインに持っていくのはかなり厳しい
といってもセンター試験未経験の私にはどれだけの
厳しさなのかイマイチ、ピンときていないけど。
誰か、わかりやすく教えて。

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秋頃だったか、模試でD判定を頂戴してきたことがあった。

「 志望校、このままでどうよ?があるけど、どうよ?」

さすがの笑もこのときばかりは弱気になった。

「 模試の判定もアテにならんからあんまり気にするな
 とはいうけどなぁ…それにしてもどうよ?」

結局、気にしないことにしたみたいだけど。

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学校は休学したけど、バイトはやめなかった笑。
「 収入源がなくなるのは不安だ。」
今の子やな、世の中の厳しさを親以上に知っとる。

年を越し、弟とのダブル受験に紛れながら
センター試験も終え、最後の笑の本番では
宿泊した旅館で手厚くもてなされてちょっとした
旅行気分も味わえたみたいだ。

以上、笑のミッション、無事終了。
ぬいいとさん目線での回顧なので、笑の心情その他
誤りがあるかもしれないけど、ご了承くだされ。

雄太の門出

三月下旬、Y太の入学前説明会に同行した。
思えば四年前、雪の卒業式・本編では
「 もうこの門を潜ることもないのかぁ。」
と、感慨深げにここの門を後にしたことだった。

その門のあたりは在校生が鈴なりになって
一生懸命新入生に声をかけながらチラシを配っていた。
さっそく、クラブ勧誘である。
その在校生で囲まれた花道にさしかかると
ひとりの図体が大きい野球青年が

「 ( ̄ー+ ̄) おっ?!」

とか言ってY太に近づいてきた。
せんす高校は男女比が3対7。体育経験あるなしに関わらず
体育会系クラブにとって男子は貴重な存在である。
さっそく目ぇつけられたな。
近づいてきた野球青年は言葉巧みにY太を誘う。

「 なぁ、せんす高校にはラグビー部ないもんなぁ。
  残念やなぁ。だから野球部にはいろう!(⌒〜⌒) 」

なんや、中学の先輩かい!(笑)

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笑とY太の入学式がブッキングしてしまった。
協議の末、私が笑の入学式に同行することになったので
Y太の門出には赴けなかった。

「 出席番号2番 」
青Kさんのおかげで生まれて初めて経験することができた。
そんなことくらいしかエピソードがないのが申し訳ない。

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結局Y太はテニス部に入った。
ラグビーしながら、ボーイスカウトしながら
闇にテニススクールにも籍を置いていた。
( 怪我続きでほとんど休んでたけど。)
まぁ、自然な流れだ。
テニスコートの横は野球部の練習グランドで
例の野球青年が毎日温かい声援を送ってくる。

「 Y太くぅん、野球部もおもしろいよ〜♪(^◇^)┛」

四月を過ごしたところで、高校生活があまり面白くない様子の
Y太くん。
そやな、あまりにも中学生活が面白すぎたもんな。
母にとっては想定内の、世の中的にもよくある案じごとだ。
それはもう、時が解決してくれるのを待つしかない。

「 だってな、あきちゃんやコンドーみたいなやつが
 クラスにおれへんねんもん。」

あ、あのふたりは特別や(笑)。
あのキャラの存在を当たり前に求めるとちょっとキビシいぞ。
そう、楽しみは自分で模索して、開拓して、解決して。
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雄太の受験回顧

「 キビしい受験となりますよ。」

そう先生から忠告されたのが昨年末の三者懇談の時だった。
大きな反省点は母子共々今ひとつ一生懸命でなかったこと。
子どもに関しては仕方がない、あの年頃で自ら必要性を感じて
勉強したり、あれこれリサーチする中学生はあまりいない。

あ、いた。雪と笑だ。(笑)

大いに反省すべき点は、その弟も同じ質だと思い込んで
同じように野放しにしていた母の私にある。
勉強は本人のやる気次第としても、その前段階の
志望校選びをもう少しサポートしてやるべきだったなぁと
思う次第だ。

周りがどんどん私立専願で決めていく中
「 できる限り公立で!」
との指令を、鼻先に「 スマホ 」をぶら下げて出した。
学力も知れている。選択肢は多くはなかった。

母子のリサーチ不足を察しながらも咎めることなく
担任の先生方(小規模校ゆえ担任が3人いる)は、Y太の学力に
見合った学校をいくつかピックアップしてくださった。
その中に雪ねぇの母校「 せんす高校 」があった。
2学期中頃には安全圏だったそのせんす高校も
学期末の成績が出る頃には合否ボーダーライン上に。
そこで先生から頂戴したコメントが冒頭の言葉だ。

3学期に入り、試験間際になってから

「 やっぱ、塾、行っとくべきやったかなぁ。」

「 今から四月頃にタイムスリップしたい気分やなぁ。」

と、コソッと洩らした独り言、シカとここに
記させていただこう。
その反省点は、高校で活かそうな、お互いに。(笑)

キビしいと言われながらも、めでたくサクラは咲いた。
合格発表後、何をさておき父の手を引いて
auショップへ向かったY太であった。

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