内職へのおもい
- 2005年7月23日(土) 00:00 JST
- 投稿者: ぬいいとさん
- 表示回数 5,850
今、内職「でも」食ってけるように
いや、せめて小金でもいいから稼げるように
自分なりに下準備しています。
「でも」 と、あえてカギ括弧なんてつけたのは
訳がありまして。
あたしにもそれなりに手に職をもっています。
「 食堂のおねえさん 」(おばちゃんとは言わせない!)
食に関する免許はふたつほど持ってますが
それに関しては偉そうな事は言えません。
でも 「 食堂のおねえさん 」に関しては
少々ブランクがあっても比較的早く感覚が戻せて
臨機応変に対応できて、酸いも甘いも熟知してる。
プライドは持ってるけどいい意味で冷めた部分もあります。
5年後、10年後、あるいはそれ以上先に
「自分で稼ごう!」 となったとした場合
元気なからだがあって、外に出る事が許されるのなら
迷わず 「 食堂のおねえさん 」を選びます。
時給も高くないし、軽く見られがちだけど
あたしにとっては一番てっとり早い!(笑)
でもね、年輩の方々を見るとね、やっぱり不安なんです。
老若男女が入り乱れる世界。
体力に記憶力は相当努力しないと
若い子には太刀打ちできません。
迷惑かけること、必至といっていいかも。
「 外に出る事が許されるのなら 」
あたしのコレまでを振り返ると、コレが許されなかった
いや、正確には「出たい!」と宣言する勇気がなかった
と言った方が正しいかもしれません。
生家は商売をやっていたのですが
学生時代にバイトしたいと思った時も
栄養士として働いてとてもやりがいを感じて
もっと続けたいと思った時も
常に「家」との選択を迫られました。
この家に生まれた事を悔やんだことはあっても
両親を恨む事はなかったので結局は
「 家 」 を選択していました。
結婚してからは「育児」。
ほぼ年子で産んだので仮にパートで働いたとしても
常に×2の託児料がかかるので働く意味ナシ(笑)
ひたすら原始的倹約生活でした。
子ども達の幼稚園時代は旦那の実家にも
あたしの実家にも助けてもらいましたよ。
外ではなかなか受け付けてくれないであろう
幼児持ちのあたしをよく働かせてくれました。
今は・・・これまた「外」には出られない。
このご時世に良くある事情で
今、あたしの実家はたいへんです。
これ以上他人さんは雇えない。
でもあたしも稼がなあかんとこまできてます。
今の選択肢は
①実家を捨てる(意気地なしなのでできない!)
②休日昼夜惜しんで働く(ホンのちょっとならできるけど)
③内職する。(ちから不足)
④ひたすら倹約生活。(一番堅いかも?)
で、今は気力も体力も充実してるし
親、兄弟、子ども、とりあえず元気なので
どないでもなるのですが
これが5年後、10年後となると
気力、体力に不安があります。
親が元気だという保証はどこにもありません。
介護しながら、実家の父のめんどうも見な・・・
なぁんて事も考えられます。
きれい事かもしれないけどその時に
うらみつらみを並べたくないんです。
そのためには「自立」してないと。
「外には出られないけど、小金は稼げる。」
自分で何かを立ち上げるか、内職しかありません。
前者はとーっても難しいのでちょっとおいといてっと。
「内職」はいまから準備すればなんとかなるかも。
でもね、まだまだ未熟なんです。(´_`)ヾ
で、いまとりあえずやってるのが広報のオシゴト。
とーっても話が長くなったので続きは次回に。
(まだ、続くンかい!・・・てか?
延々と続くわよん♪ ( ̄ー+ ̄) )
いや、せめて小金でもいいから稼げるように
自分なりに下準備しています。
「でも」 と、あえてカギ括弧なんてつけたのは
訳がありまして。
あたしにもそれなりに手に職をもっています。
「 食堂のおねえさん 」(おばちゃんとは言わせない!)
食に関する免許はふたつほど持ってますが
それに関しては偉そうな事は言えません。
でも 「 食堂のおねえさん 」に関しては
少々ブランクがあっても比較的早く感覚が戻せて
臨機応変に対応できて、酸いも甘いも熟知してる。
プライドは持ってるけどいい意味で冷めた部分もあります。
5年後、10年後、あるいはそれ以上先に
「自分で稼ごう!」 となったとした場合
元気なからだがあって、外に出る事が許されるのなら
迷わず 「 食堂のおねえさん 」を選びます。
時給も高くないし、軽く見られがちだけど
あたしにとっては一番てっとり早い!(笑)
でもね、年輩の方々を見るとね、やっぱり不安なんです。
老若男女が入り乱れる世界。
体力に記憶力は相当努力しないと
若い子には太刀打ちできません。
迷惑かけること、必至といっていいかも。
「 外に出る事が許されるのなら 」
あたしのコレまでを振り返ると、コレが許されなかった
いや、正確には「出たい!」と宣言する勇気がなかった
と言った方が正しいかもしれません。
生家は商売をやっていたのですが
学生時代にバイトしたいと思った時も
栄養士として働いてとてもやりがいを感じて
もっと続けたいと思った時も
常に「家」との選択を迫られました。
この家に生まれた事を悔やんだことはあっても
両親を恨む事はなかったので結局は
「 家 」 を選択していました。
結婚してからは「育児」。
ほぼ年子で産んだので仮にパートで働いたとしても
常に×2の託児料がかかるので働く意味ナシ(笑)
ひたすら原始的倹約生活でした。
子ども達の幼稚園時代は旦那の実家にも
あたしの実家にも助けてもらいましたよ。
外ではなかなか受け付けてくれないであろう
幼児持ちのあたしをよく働かせてくれました。
今は・・・これまた「外」には出られない。
このご時世に良くある事情で
今、あたしの実家はたいへんです。
これ以上他人さんは雇えない。
でもあたしも稼がなあかんとこまできてます。
今の選択肢は
①実家を捨てる(意気地なしなのでできない!)
②休日昼夜惜しんで働く(ホンのちょっとならできるけど)
③内職する。(ちから不足)
④ひたすら倹約生活。(一番堅いかも?)
で、今は気力も体力も充実してるし
親、兄弟、子ども、とりあえず元気なので
どないでもなるのですが
これが5年後、10年後となると
気力、体力に不安があります。
親が元気だという保証はどこにもありません。
介護しながら、実家の父のめんどうも見な・・・
なぁんて事も考えられます。
きれい事かもしれないけどその時に
うらみつらみを並べたくないんです。
そのためには「自立」してないと。
「外には出られないけど、小金は稼げる。」
自分で何かを立ち上げるか、内職しかありません。
前者はとーっても難しいのでちょっとおいといてっと。
「内職」はいまから準備すればなんとかなるかも。
でもね、まだまだ未熟なんです。(´_`)ヾ
で、いまとりあえずやってるのが広報のオシゴト。
とーっても話が長くなったので続きは次回に。
(まだ、続くンかい!・・・てか?
延々と続くわよん♪ ( ̄ー+ ̄) )