「 えぇねぇ。」
- 2007年5月 8日(火) 00:00 JST
- 投稿者: ぬいいとさん
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自分の実家に勤めてて
よく人から「 えぇねぇ。」と、言われること。
「 いつでも休ませて貰えるやん。」
それはない。
外の勤めだろうが家の勤めだろうが
休めるときゃ、休めるし
休めないときゃ、休めない。
あたしの経験範囲内では家の勤めの方が
休みづらい場合が多い。
「 気ィ使わんでえぇやん。」
多分こういう人がお商売にかかわると
人はついてこないだろうな。
いや、その前に自らが持たないかも。
「 親伍さんに助けてもらってえぇねぇ。」
確かに。
しかし自分で言ってしまえば値打ちないが
家族の歴史、五十年を振り返ってみれば
親が子を助け、子が親を助け、の連続。
授かったものもたくさんあるが
我慢したものもたくさんある。
親にはとても感謝してるが
決して人から羨ましがられるものでも
哀れみをうけるものでもない。
そう、ごくふつうのこと。
「 子どもが病気の時はすぐ休める。」
最近は病気になることも少なくなったが
以前はコレもよく言われた。
だがこれも休めるときゃ休めるが
休めないときゃやすめない。
だが休めなくても
「 連れて行く 」ことができた。
仕事に穴をあけずにすむ
そういった意味では「 えぇなぁ 」と
よく思ったものだ。
おばあちゃんはもういなかったので
別室で看護付きってなわけにはいかなかったけど
店の一番隅っこに椅子3つならべて
そこに寝かせながら店番したことが
何度かあった。
もしあたしが病気の子どもだとしたら
寝心地いいベッドがある他人の家(施設)よりも
少々寝づらくても( ウチの子は構わず寝てたけど )
自分の親がそばにいるほうがぜったいにいい。
あたしにとっての「 えぇねぇ 」は
こんなとこにある。
+。。+゜゜+。。+゜゜+。。+゜゜+。。
今日、昼下がりにY太が自転車に乗って
店までやってきた。
「 (;_;) おかあさぁん、公園で
〇〇に水かけられた。」
こころなしか半ベソ状態だ。
見たところたいした災難でもなさそうだったが
きっと気持ちのやり場がなくなって
ここにやってきたんだろう。
「 まぁ気ィとりなおして
おはぎでも食べなはれ。」
店に入るとじっちゃんやおじちゃん、おばちゃんが
自然体で温かく迎えてくれる。
実家で勤めていてつくづく良かったと思うのは
こういう時だ。
普段はほったらかしだけど
何か心細いことがあった時に
子どもたちがいつでも飛び込める。
先日、某スピリチュアル番組で
おじいちゃん、おばあちゃんの必要性が
唱えられていた。
この連休中、母はほとんど仕事だったが
Y太は少し離れたおばあちゃん家で
旦那といっしょにお泊まりしてきた。
生まれたときから散々容赦なく(笑)行ってるおかげで
おおきな気遣いはいらない場所だ。
こういう場所がふたつみっつある我が家は
今の世の中ではかなり贅沢なほうかも。
よく人から「 えぇねぇ。」と、言われること。
「 いつでも休ませて貰えるやん。」
それはない。
外の勤めだろうが家の勤めだろうが
休めるときゃ、休めるし
休めないときゃ、休めない。
あたしの経験範囲内では家の勤めの方が
休みづらい場合が多い。
「 気ィ使わんでえぇやん。」
多分こういう人がお商売にかかわると
人はついてこないだろうな。
いや、その前に自らが持たないかも。
「 親伍さんに助けてもらってえぇねぇ。」
確かに。
しかし自分で言ってしまえば値打ちないが
家族の歴史、五十年を振り返ってみれば
親が子を助け、子が親を助け、の連続。
授かったものもたくさんあるが
我慢したものもたくさんある。
親にはとても感謝してるが
決して人から羨ましがられるものでも
哀れみをうけるものでもない。
そう、ごくふつうのこと。
「 子どもが病気の時はすぐ休める。」
最近は病気になることも少なくなったが
以前はコレもよく言われた。
だがこれも休めるときゃ休めるが
休めないときゃやすめない。
だが休めなくても
「 連れて行く 」ことができた。
仕事に穴をあけずにすむ
そういった意味では「 えぇなぁ 」と
よく思ったものだ。
おばあちゃんはもういなかったので
別室で看護付きってなわけにはいかなかったけど
店の一番隅っこに椅子3つならべて
そこに寝かせながら店番したことが
何度かあった。
もしあたしが病気の子どもだとしたら
寝心地いいベッドがある他人の家(施設)よりも
少々寝づらくても( ウチの子は構わず寝てたけど )
自分の親がそばにいるほうがぜったいにいい。
あたしにとっての「 えぇねぇ 」は
こんなとこにある。
+。。+゜゜+。。+゜゜+。。+゜゜+。。
今日、昼下がりにY太が自転車に乗って
店までやってきた。
「 (;_;) おかあさぁん、公園で
〇〇に水かけられた。」
こころなしか半ベソ状態だ。
見たところたいした災難でもなさそうだったが
きっと気持ちのやり場がなくなって
ここにやってきたんだろう。
「 まぁ気ィとりなおして
おはぎでも食べなはれ。」
店に入るとじっちゃんやおじちゃん、おばちゃんが
自然体で温かく迎えてくれる。
実家で勤めていてつくづく良かったと思うのは
こういう時だ。
普段はほったらかしだけど
何か心細いことがあった時に
子どもたちがいつでも飛び込める。
先日、某スピリチュアル番組で
おじいちゃん、おばあちゃんの必要性が
唱えられていた。
この連休中、母はほとんど仕事だったが
Y太は少し離れたおばあちゃん家で
旦那といっしょにお泊まりしてきた。
生まれたときから散々容赦なく(笑)行ってるおかげで
おおきな気遣いはいらない場所だ。
こういう場所がふたつみっつある我が家は
今の世の中ではかなり贅沢なほうかも。