2025年12月15日(月) 23:50 JST

あたりまえのお話し

TVや新聞、雑誌なんかで時折
「あー、こんな生き方もいいよな。
 こんな余生の過ごし方もありやな。」
なんて方にちょくちょく遭遇します。
それはこぢんまりとした遊園地を小綺麗に手入れし
格安料金で運営しているおっちゃんだったり
亡くなったご主人の遺志を引き継いで
個人でつくった「戦争資料館」を無償で
公開し続けるおばあちゃんだったり
若者が次々と修行にやってくる
手打ちうどん一筋に生きているおばあちゃんだったり。
今思いつくのは年輩の方ばかりですが
いろんなパターンの年代、生き方に
興味をそそられます。
その方達に共通してるのが、健康であると同時に
「 ある程度生活が安定してる。」
ってこと。
あたりまえっちゃー、あたりまえですよね。(笑)
別にゴージャスな生活したいとは思わないけど
自分自身の尺度で言う必要最低限の生活は
やはりほしいもんです。
その上でできれば先ほど申しあげたような
「こんな生き方もいいよな。」
ってなものがあればもう、御の字。
やっぱり「生活力」は必要です。
それも本当の意味での「生活力」が。
今はまだ「気力」「体力」だけで稼ぐ力はあります。
今のうちに「ソレ+α」を考えないと。


ひとりごと

マリナーズのイチロー。
毎年当たり前のように打率三割以上をマーク。
そのイチロー曰く。
「 打率が二割以下でいいんなら
  ホームラン王は獲れる。」

24時間マラソンのトレーナー、坂本さん。
きっと「森 光子」さえも走らせちゃうんじゃ
ないだろうか?

「 結果を出せる人 」
常にコレを念頭において行動してきたつもりだが
社会的にはまだなにも結果はでていない。
あせらず、あきらめず、これからこれから。
がんばれ、ぬいいとさん。
がんばれ、みんな!

冷めた目で、24時間TVマラソン・4

それより・・・。
毎年ランナーにピッタリ併走してる
あのバンダナ巻いた「おっちゃん」。
ぬいいとさんはランナーより
あの「おっちゃん」に静かな感動をおぼえる。
誰かと交代してるふうでもなく
途中で車かなんかに乗ってるふうでもなく
毎年、いつ見てもランナーの隣りにいて
ペース配分のアドバイスなんかをしてる。
あたりまえのようにスズシイ顔をして。
ランナーは数時間事に休憩をとるが
その間、マッサージだのテーピングなど
あらゆる体調管理に精を出す。
「シンドイ」のはランナー本人だろうが
「ムズカシイ」のは走らせなければならない
この「おっちゃん」の仕事だ。
「人を導く」というのは一筋縄ではいかない。
毎年、いろんなパターンのズブの素人ランナーを
あらゆる手を駆使して完走にもって行く。
それも「あたりまえ」のように。
おそらくギャランティは発生してるだろうから
「金もらってんねんし、あたりまえ。」
っちゃ~それまでやけど
なら「金もらったらだれでもできるンか?」
っちゃ~そうじゃない。
画面ではこの「おっちゃん」しかみえないけど
見えないところでいろんな「職人」が
コレにかかわってるんだろうな。
「24時間マラソンランナー」には
なりたいとは思わないけど
あの「おっちゃん」みたいな仕事ぶりは
真似したいよなって思う。
キリギリまで欽ちゃんに併走して
武道館入り口のところで静かに姿を消す。
・・・「おっちゃん」、かっこええがな。
   ↓↓↓↓↓
「坂本雄次」プロフィール

冷めた目で、24時間TVマラソン・3

そんなこんなで今年のランナーは
萩本欽ちゃん。
ランナー発表があった後、紳助が欽ちゃんに言う。
「別にゴールせんでええんちゃいます?
 たまには『ゴールできませんでしたぁ♪』
 なんて年もあってええですやん!」
ほんとにそうだとおもった。
また、欽ちゃんほどのベテランなら
それができると思った。
「ゴール」という形でなくても
別の形で「走りながら何かを伝えること」
ができるんじゃない?
なんか、一石投じてほしいよなぁ。
いやいや、もしかしてこのうんちくは
「ゴール」を経験していないぬいいいとさんの
逃げ口上にすぎないのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、欽ちゃんは結局例年通り走り切ってしまった。
いや、最後は歩いてたけど。
番組終了後、欽ちゃんが裏話をポロリ。
「最後のほうでね、
 『このままだと早く着いちゃうので
  ペースダウンしてください』
 なんていうのよ。で、遅くしたら今度は
 『時間内に入れないので速くして』
 だって。」
そう、そこや。
今まで歴代タレントさんが身を粉にしながらも
いまひとつ伝わってこなかった(少なくともぬいいとさんには)のは
そこや。
「やらされてる」というのはどこか伝わらない。
「この番組、少なくともマラソンの企画者は
 『とにかく著名なタレントにムリさせて
  走らせさえすりゃ、感動が得られる。』
 ってことが永遠に続くと勘違いしてる。」
・・・ちょっと言い過ぎだろうか?
やりたがらない著名タレントが多いのは
ただシンドイからじゃなく
失うものが多い割に得るものが少ないから。
(それはおそらく金銭的なことではなく
 時間的、体力的なことが占めてると思う。)
「やってもいい」というタレントもいるだろうが
それは企画者のおめがねにかからない
無名タレントが大半であろう。

誤解のないように念をおすが
あたしは走ったランナーを否定してるのではない。
そのパワーと努力には素直に敬意を表したい。
言いたい事は、企画者が
「24時間マラソンは永遠だ。」
と思っているのなら、それは大きな間違いだ
ということだ。
もうそろそろ路線変更してもいいんじゃないかな?
(まだまだつづく。つづくったらつづく。)

冷めた目で、24時間TVマラソン・2

なんて意気込んだけど
今年、その時間はY太の校庭キャンプの
お手伝いがあったり仕事があったりで、結局
「24時間TV」は最後のゴールシーンしか
観ることが出来なかった。(笑)
番組全体のことは何も語ることはできないけど
「マラソン」に関してはぬいいとさんの中でも
疑問視したいことがいくつかあったので
ちょっとおしゃべり。
「なぜ、マラソンに感動し切れないのか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「走りに関してはほとんどズブの素人である
 タレントさんを、毎年抜擢して
 マラソンを通して自己の限界に
 挑戦してもらい、感動を分かち合いたい。」
最初の趣旨はこうだったんだろう。
いや、今もそう定義づけられてると思う。
毎年ぼんやりと最後のゴールシーンを見ていたが
去年の「あまり好きでない」発言を目にして
ちょっと、いがった見方が頭をもたげた。
「そういえば軽く感動はするけど
 感激屋ぬいいとさんをもってしてでも
 涙流すほどではないよな。」
アホなぬいいとさんでも
ここに至るまでのタレントさんのご苦労は
察することはできる。
なのにどこか腑に落ちない心持ちである。
「感動よりも、心配の方が大きい。
 番組終了後、ほんとにランナーとなった
 タレントさんに後遺症はないの?
 やり終えた充実感ってほんとにあるの?」
何ヶ月も前からトレーニングしているにもかかわらず
ゴールしたときにはテーピングだらけだ。
完全に自己の限界を超えている。
これって、本当にタレント本人さんの意思?

ページナビゲーション