2025年11月14日(金) 15:24 JST

過払い金請求

生前、父はカードローンで借金をしていた。
道楽や賭け事のためではなく、お店の運転資金のためだ。
私達がお店の台所事情にノータッチだった当時はわからなかったが、父が86歳でバイパス手術をして入院した時を機に
父やお店にくる郵便物をチェックしだしてから発覚。
確認すると8,000円ほどあった返済残額が返せずに
そのまま5年ほど放置されていて18,000円弱に膨れ上がっていた。

「ゲッ‼倍以上になってるやん!」

その未払金が、当時の台所事情の中では
返済の優先順位が限りなく最後尾に近いものである
ということは察していた。
かといってこのまま増え続けていくのを黙って見過ごすのもなにやら腹が立つ。

「しゃぁない。」

我が家の家計から持ち出して返済した。

それから2年ほど経ってからメディアで頻繁に流されている過払い金請求のことが気になって

「そういえばあの返済完了したカードローン
 どんな感じなんかなぁ?」

と、ダメ元で調べてみることにした。

まずは「取引履歴」のお取り寄せ。
カード会社に電話すると、まずは本人さん(父)を
電話口に出せという。
そやな、今は何でも本人確認やもんな。
かといって認知症が進みつつある父に難しいことを言っても混乱するだけなので
父の状況を先方に話し、極簡単な質問だけを受け付けるということで了解をもらって父に受話器を手渡した。

「お父ちゃん、とにかくあちらさんの言うことに
 『ハイハイ』いうて答えてくれたらえぇから。」

「よっしゃ、よっしゃ♪」

名前、生年月日、住所、電話番号…
そしておそらく先方からあとの難しいことは娘さんに任せていいですか?とでも訊かれたのであろう

「ハイハイ、全て任せますのでよろしくお願いします。」

と応えて私に受話器を返してきた。

一通りの説明を受け、この電話から一週間ほどして届いた郵便物は
「取引履歴申請書」
電話1本だけでは事は進まない、。
コレに必要事項を記入し送り返して初めて物事が動く。
合わせて父の代わりに私が動くことになるので委任状が必要となってくる。
文面はワープロで名前だけ本人の直筆で、は、NG。
すべて本人さんの直筆でお願いしますときた。
便箋に鉛筆で下書きをし、父の頭が比較的シャキッとしているおふろ帰りをめがけて筆をすすめてもらう。
1~2年前の父ならなんてこたぁない事務作業だったろうが、誤字脱字満載、訂正印の花が咲いた委任状が出来上がった。
ま、コレでも法的には充分御の字である。

最初の電話の時に、問い合わせ件数が多くて申請書が会社に届いてから取引履歴が郵送されるまで1~2ヶ月かかる
とは聞いていたが、届いたのは2ヶ月をゆうに越え3ヶ月近く経った頃だった。
途中、ホッタラカシ(放ったまま)になってるのじゃないかと確認の電話をいれてみたりもしたが
その後届いた履歴書類の枚数の多さと情報量の凄さを見て納得。
「そりゃ一件でコレだけの資料用意してたら
 2~3ヶ月かかるわな。」

さて、履歴をもらったものの、何がなんだかさっぱりわからない。
あっさりクレジット会社に電話して聞いてみる。
懇切丁寧に書類の内容を解説してくれた。

結局わかったことは、当初カード1枚で借入れてたと思っていたのが、実際は3枚に及んでいたこと。
そして返済が終わったカードに関しては過払い金があるけれど、未払金があるカードも残っていたこと。
そして幸いなことに過払いと未払いを相殺した結果、結構な額の過払い金となったこと。

「え?え?どのくらい?」

ん~そやね、うちの旦那さんが60時間ほど残業した月のお給料くらい、ってとこかな?

ただ、ネット情報によると全額戻ってくることはほぼなく、5割、ヘタすると2~3割ほどしか返ってこないという。
このまま一端の主婦が交渉しても埒アカンのじゃないか?
その道のエキスパートに任せた方がいいのかな?
不安になって、司法書士さんに相談してみる。
司法書士さんはクレジット会社名と過払いの金額だけ聞くと
「それだったら8割くらいは返ってくるんじゃないかな?
 一度ご自分で交渉してみては?」
とアドバイスをくださった。

ドンピシャ、クレジット会社からは実際の過払い金の8割返還でどうですかときた。
さすが、その道のエキスパートだ。
司法書士さんに全額返還できるようお願いしたところでおそらくその2割は報酬として持っていかれるだろう。
ウマイとこ突いとる。
当然返してもらえるお金なので自力で裁判まで持っていって全額返してもらう術もあるが
父も年齢的にいつどうなるかわからない身だし、裁判する体力もない。
示談で応じることにした。

「それではお振り込みは4月の末になりますね。」

( ̄□ ̄;)!! はぁ~~~?!3ヶ月も先ってか!
うちのオヤジ、生きてるかぁ?!
…と言いたいところをグッとこらえて
「あ~、少しでも元気あるうちにそのお金で
 温泉にでも連れてったげたいんですけど
 ダメですかね?」

と、軽くお願い。アカンとは解ってたけど。

「過払い金請求」というとなんだかクレジット会社に邪気に扱われそうなイメージがあったが
この会社は大手銀行系だからだろうか、最初の電話から一貫してとても丁寧に対応してくれた。

過払い金が銀行に振り込まれたのは父が入院する前日、亡くなる約2週間前だった。

セーフ。

内視鏡検査

夏に胃の内視鏡検査を受けた。
2年ほど前にピロリ菌で引っ掛かった時以来
2度目だ。

私が受けたのは全身麻酔で眠らされている間に
全ての検査を終わらせる、といった
ほとんど苦痛のない検査方法である。

検査台にのぼり、程なく検査前処置が始まる。

「はい、ぬいいとさぁん、麻酔する前に
 先に喉の筋肉を麻痺させるお薬いれますね~。」

あ、これや、前にもあったよな。
唯一この検査で苦痛を感じる瞬間である。

「唾が溜まってきてもかまわずダラダラと
 お口から流してくださいねぇ。」

確かに、呑もうと思っても呑み込めない。
お言葉に甘えてダラダラと流すことにした。
フッと、数ヵ月前の光景が過った。

「おやじさんもこんな気分だったんだろうか。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結果的には父が亡くなった日の前日となった
その日の昼下がりのこと。
面会に行った私の目に入ってきたのは
半起こしのベットに座らされた父が
首を傾け、口からよだれが流れ放題で
放心状態になっている光景だった。
一瞬死んでるのかと思い、慌てて声をかける。

「おとうちゃん、大丈夫?!
 あら~、すごいヨダレ!
 サ骨のとこに溜まって湖みたいになってるやん!
 すぐ拭くから待ってやぁ。」

タオルで拭うと口の中に溜まってる唾を
自分の舌で押し出して流し出してきた。
まるで待ち構えていたかのように。
一見放心状態に見えたのはそうではなく
意識だけはしっかりしてるのがすぐにわかった。
その後は何度か言葉のやりとりもあり
夜に姉と姪が面会したときも変わりはなく
それなりの会話はあったので
昼のヨダレダラダラのことも忘れかけるところだった。

「もう唾を呑み込む力がなかったんや」

そう気づいたのは明朝父が亡くなった時だった。

喉を麻痺させられて、唾ひとつ呑み込めない歯がゆさ
そしてなんともいえない違和感を感じながら
たった数分の短い間にいろんな思いを馳せながら
やがて内視鏡を突っ込むべく深い眠りについた。

まわりの反応

(「なんでソコなん?!」よりつづき)

さて、即日採用された日の昼下がり
遅めのランチを学生来からの友ととった。
にわかに降って湧いた、できたてホヤホヤの就活話に
彼女は温かい心で失笑噴飯してくれた。

だがその後に出会う人々にはことごとく粉砕された。
「 ι(`ロ´)ノ なんでソコなん?!」の嵐だ。

時給と職種を聞くやいなや
「そんなもん、断りぃ!」
と、一刀両断された。
まぁそりゃあたりまえだのクラッカー。

「今の派遣で充分えぇんちゃうん?」
(^_^;)いや、それが思い通りに働けなくなったから
就活したんやし。

「もっと、高いとこ目指さなアカンよ!
 自分を、あきらめたらアカン!」
(^_^;) あ、いや、別に諦めてへんねんけどなぁ。
結構前向きに動いてるつもりやってんけど
んー、どう説明したらええやろ?

「折角新しいことやるなら
 もっとちがう新しいことやって
 高給とりにならなー」
(* ̄∇ ̄*) あ、それは思う(笑)。
ただなぁ、まだなんかやり残した感があってな。
回り道する余裕がもうあまりないお年頃ってのは
よくわかってるねんよ。

関西人なら誰もが知るソコで働くと聞いて
羨望の眼差しで見てくれるのは
せいぜい小学生くらいまでだろうか。
酸いも甘いも知り尽くしたアラフィフ世代
実にシビアだ。

ただコレだけシビアな助言の嵐を受けつつ
ヘラヘラ笑いながらも揺るがない自分がいた。
ただ、「なんで?」と尋ねられて
納得していただける答を伝えることが出来なかった。

右脳の中で渦巻いて微睡んでいたその答は
その後、実際に働きだしてから
次々と明らかになってくることとなる。

(ごめんね、もうちょっとつづく)

ちなみに、バイトを含む社会人経験者である子供達は
励ますでもなく、反対するでもなく
ただただ面白がってくれた。

「働く姿、笑いに行くから
 それまで辞めんといてな。(^m^)゛」

うぉっしゃ~!( ̄▽ ̄)b

なんでソコなん?!

(「就活」よりつづき)

漠然と右脳の赴くがままに行動していた中で
自分の中でふたつだけ、ハッキリとした
「理由」と「イメージ」があった。

ひとつは「今しかない」という理由。
自分の親を看取り、一旦は身軽になったわけだが
いつまた主人の両親の介護が始まるやもしれない。
ありがたいことに両親はまだ健在、である。
みっちり仕事が出来るのは今しかない。

また、少しシビアな話であるが
今、私達家族が住んでいる家は抵当に入っていて
銀行が「早く売ってくれ」とうるさく言ってきている。
この家を相続した姉はギリギリまで粘るつもりだが
いつどうなるかはわからない。
今なら通勤だけで小一時間、これ以上遠くなると
かなりキツイものがある。
通えるのはこの家に住んでいる今しかない。

決して良い条件の仕事じゃないけれど
それを理由にしてソコを仕事の選択肢から外すのは
もったいない気がした。
なんやかや言うてもネームバリューだけは
スゴい職場だ。

「後悔したくなかったからです。」
面接官にはそれしかいえなかったけど。
ツッコミもなかったからそれ以上は語らなかったけど。

そしてもうひとつは
「もし、遠方から友がきたら
 大阪を楽しんでもらえるよう
 案内したい。」
という私の中のイメージ。
もしその時にそのテーマパークに行きたい!
と言われた場合、1日や2日の下見では
そのテーマパークの楽しさは掌握できない。
ハマる人が大勢いる中、私のように
楽しめずに帰って行かれる方も実は少なくない。
結構お高い入場料を払っているにも関わらず、である。

初めてでも、1回キリでも、きっと楽しめる術があるはず。
年パス買って通うとか、ネットでググりまくるとか
方法は他にもいろいろあるけども
なんだかんだで「ソコで働く」という形で
私の中でのイメージを具象化することになった。

あとは、右脳の中のなんだかわからない
「なんだかんだ」が、後に次々と明らかになってくる。

(まだまだつづく)

就活

(「なぜか気になる職場」よりつづき)

まずは登録説明会への参加申し込み。
募集サイトから申し込むと早速メールで自動返信がある。
今はなんでもデジタルだすな。
ん?申し込みは通ってるのに説明会の案内がない。
いつ、どこへ行きゃええねん?
てなことで、お問い合わせ先に直接電話をする。
肝心なところはまだまだやっぱりアナログだ。

聞けば中高年、主婦向け説明会は定員オーバー
同じ日に条件フリーの説明会があるので
そちらでいかがですかときた。
フリーてか、なんやそれ?まぁなんでもえぇわ。
流れに任せて行くことにした。

説明会に行くと、いきなり身分証明書の
写真撮影から始まった。
え?あたしまだ応募するともなんとも言うてへんし!
まぁええか。(こればっかし)
え?なに?説明会参加者全員に
ミニヨンのボールペンくれるって?
ラッキー♪^^ミニヨン大好きな雪にあ~げよっと♪

1時間ほどの会社説明のあとに選考があるけども
応募を見送る方はそこで帰っていただいて結構!
とのこと。
なるほど、了解なりなりぃ♪( ̄▽ ̄)ゞ

合間をぬって規定のエントリーシートを書く。

御歳53歳。
主婦。
栄養士、調理師免許所持。
接客業20年勤務。
本当は「40年」と書きたいところやったけど
ハッタリと判断されては困るので
半分の20年にしといてやった。

勤務シフトの希望
10時~16時、平日のみで 週3日前後。
時給も職種も拘りはなかったが
シフトだけは譲れなかった。
サービス業でこんな希望、とんでもないやつだ。
ま、ダメもとダメもと♪

説明会が終わり、選考が始まる。
「人数が多いので、最後の方は
2時間くらいかかるかもしれません。」
え?困る!お昼から彼女とランチの約束してるのに!
今回は見送ってちゃっちゃと帰ろうか?
ま、でもギリギリまで待ってみよう。
と思うやいなや、いきなり呼ばれた。
「あ」から始まる名字、最強である。

面接ではエントリーシートに書いてあることの確認や
書いてないことへの簡単な聞き取りが主だったが
最後に
「なぜここで働こうと思ったのですか」
と尋ねられて言葉が詰まってしまった。
まさか、右脳の赴くままに、とは言えない(笑)。
しばし息を呑んだ後に私の口から
とっさに出てきた言葉は

「後悔したくなかったからです。(* ̄ー ̄)」

的外れで突拍子もない応えに面接官は
それ以上突っ込むでもなく、嘲笑するでもなく
「あ、そうですか(^^)」
と軽く流してくれた。
ありがとう。

直後に面接官が変わった。
のちにそれは2次審査だと知る。

「土日は入れないんですか?」
「この時間より早くは入れないんですか?」
「これ以上遅くは残れないんですか?」
「重いものは持てないとのことですが
大丈夫ですか?」

譲れるべきところ、そうでないところを
ひと通りやり取りした。
その後、面接官が少し席を外し、また別室から戻ってきた。

「じゃ、ぬいいとさん、採用いたします。」

?!(・◇・;) ? へっ?もう?
エントリーシートにワガママ放題書いておいて
ヨカッタ。(^ー^;A
それより裏方?まさかホール?
まぁどっちでもやるけど。

かくして、右脳の赴くがままに
流れに任せて動いた結果
以前遊びにいったけれども一度行けばもういいかな?
と思っていたテーマパークで働くことになった。
(まだつづく)

ページナビゲーション