2025年11月14日(金) 21:51 JST

喪主

父を見送った日の夕食での会話。

ぬ「 今日はみんなじいさんのためにどうもありがとうね。
  お疲れサマンサタバサ。」

Y太「 なんか、寂しいなぁ。
  とうちゃん、かぁちゃん、俺より後に死んでな。 一生、生きといて。」

旦那「 アホか。長男のお前が喪主せなアカンやろ!」

Y「 オレ末っ子やし。
  ふたりのお姉様方、よろしくお願いします! 」

雪「 なんでやねん!! 」

笑「 私、次女やし~、気楽やわぁ。」

ぬ「 あ、そんなんわからんで。今日の喪主は三女やで(笑) 」

ま、別に喪主の挨拶もやらんでよかったからえぇけど。

(2016.05.12.)

初体験

父を冥途へ送り出す日の朝、わが家での会話。

「オレ、お葬式行ったことないし。」

18の末息子が言う。

「 え?そやったっけ?
 ほな、今日起こる何もかもが初体験やなぁ。」

と、応えたのちに一抹の不安を覚えた。

「 今日のお葬式が、世間一般レベルのお葬式だと
  息子が思い込んだらどうしよう。」

何事も初めて体験したものが多かれ少なかれ ノーマルレベルとして刷り込まれる。
まぁ回を重ねるごとに、誤差は是正されていくのだけれど。

「 通夜、告別式のない直葬。」

かろうじてごく身内でささやかなお別れの時間を設ける。
参列者は子、孫のみ十名ほど。
何十回とそういう場面に遭遇している私も そういったお別れの儀式は初体験だ。

超リーズナブルながらも
「 せめてこれだけは 」
といったことをひとつ、ふたつと重ねると
あっちゅう間に何万、何十万円と費用がかさんでくる。
こういうことさえもできない遺族も、今の世の中
たくさんいらっしゃるんだろうな。

亡くなった後もご遺体をそのままにしていたというニュース
わからないでもない。

あれから一年経ちました

父が亡くなってからゆにばでびゅ〜♪の記事をアップするまでの約5ヶ月間の事で
公開するにはまだ早いけど書き留めておきたかったことを
コソッと雑記帳に認めていた。

改めてメインブログにアップしようと思って読み返してみると、あまり格好の良い内容ではない。

記事をほぼコピペするだけならアメブロのリンク貼るだけでいいか、とも考えたが
やはり私の本体であるこのブログにも残しておきたいことである。

ということで少し追記してアップすることにした。
一年前という全然リアルタイムでないお話である上に、おそらくコメントしづらい内容なので、読み逃げ全然オーライです。

あ、でも、素朴な疑問があればなんでもおっしゃってください。
たとえば
「 結局埋葬代いくらかかったん? 」
とか(笑)。
可能な限りおこたえいたします~。

ダブルワーク

職場での上司とJKバイトの会話。

J「今週1週間、連勤(連続勤務)なんですよ~」
上「え?そうなん?
  そしたらどこかに休み入れてもらうように
  人事担当に交渉しなきゃ」
J「いや、ダブルワークしてて
  ここが休みの時は別の所で
  働いてるんです~。」
上「そうかぁ、そりゃしゃあないなぁ(笑)
  ここだけやったらどないかしてあげられるけど
  (ここだけならどうにかしてあげられるけど)
  どないもしてあげられへんわ~。
  (何もしてあげられないわ)」

別の上司が重ねて会話に入ってくる。

「連勤するとね、おくちが臭くなってくるよ~」
「そうそう、それからお腹の調子が悪くなってくる」

そばにいたぬいいとさん
それを聞いてドキッとした。

「あ、もしかして、あたしのこと?」

ちょうど6連勤、10連勤、6連勤とこなしていた時だった。
ダブルワークの上に臨時の助っ人ワーク
(ボランティアともいう)が入り自ら課したノルマもあって目一杯仕事をいれざるを得なかった。
加えて風邪のなごりがなかなかぬけずに喉やら鼻やらがすっきりしなかったり
軽く逆流性食道炎の症状が出てたりと、寝込むほどではないけど好調ではなかった。

先の上司も私に向けて言ったのではないとは思うのだが、たまたま私がその場に居合わせたのは必然だったのかもしれない。

「これは、天のお声やな?」
そう受け入れることにした。

職場・夢も職場・華も客商売である。
おくちが臭い状態では失礼にあたるよな。
お金も大事やけど、自重しよう。
休む勇気も大事だ。

ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★ミ☆ミ★

「職場・夢メインで働き
 シフトの空いた日に
 職場・華で働く」

今の世の中ダブルワークは珍しくなく
雇う側、雇われる側も割り切っているんだろうが
私にはまだどこか後ろめたさを感じるところがある。
職場・夢で急に欠員が出ても9割方応じられないし
職場・華に至っては完全に「こちら側の勝手」である。

その心苦しさと、加えて体力的なことから
ダブルワーク解消も考えた。
メインである職場・夢の仕事を少しアップグレードすれば
毎月のノルマ達成も可能だ。

そんな折、職場・夢から電話が入る。

「ぬいいとさん、すっげぇヒマだから
 明日休んで♪(^人^;)」
「ハイハ~イ♪(^^)/了解なりなりぃ!」

その手で職場・華に電話する。

「急だけど、明日出勤していいっすかぁ?」
「ハイハ~イ♪(^^)/ 了解なりなりぃ!」

今月は職場・夢からお暇を出されることが多かっただけに職場・華の存在はありがたかった。

職場・華にはなんの不満も不足もない。
職場の方々も私の状況を理解して割り切ってくださっている。
ただ私が自分勝手に心苦しさを感じているだけだ。
せっかくの恵まれた状況を不必要な遠慮心で手離すのはMOTTAINAI。
よし、図々しくなろう。

そう、大事なのは職場が私を必要としてるか否かではなく
私が職場を必要としているか否かだ。

私が必要とする限り、

「はい♪ぬいいとさん、クビね。」

って言われるまで居座ろう。(^^)

一円のあんぱん

「 はいはい~♪おやつにしましょうかぁ?」

「 玉出の1円セールでゲットしたあんパンやで!」

「 ひとつのあんパンを4等分して分け合うって(笑) 」

「 私らって、なんて慎ましやかなんやろ~(笑) 」

「 糖質制限せなあかんからな、私らは
  これくらいでちょうどえぇねん 。」

「 そうそう、丸々1個は食べたらアカンあかん!(笑) 」

そう言って、父と義兄にも4分の1あんパンを手渡す。
ちょっと安めのボトルコーヒーをコップに注いで
わちゃわちゃ言いながらあんパンをチビリチビリ食べる
実姉 keshidma さんと私。
まだ私が実家の商売に携わっていた頃の話だ。

私は私生活に戻れば大きな贅沢さえしなければ
何不自由ない暮らしを送っていたが
生計を共にしていた父と姉夫婦の商い生活は
雨風しのぐ家と、支払い待ったなし状態のライフライン
そしてその日食べるだけの食費と明日の仕入れのための軍資金をかろうじて確保していたという状況だった。

早い話が「 その日暮らし 」である。

だがギリギリの生活だったけれど
1円あんパンで笑えたりと日々幸せを感じていた。
いや、其処此処にまばらに転がっている幸せの種を目ざとく見つけては拾って食べていた
といった方が正しいだろうか。

父が亡くなった今でもその商売を引き継いでいる姉夫婦の生活状況は変わっていない。

水光熱費が銀行引き落としされている。
倹約のために買った安売りの油や砂糖が
食材庫にたんまりある。
親しい友達に
「 夕方までに返すから一瞬千円 貸して。」
と言われたらその場でサッと貸せる。
何も贅沢してないけどひとつだけカルチャースクールに通っている。
いざというときはすぐに医者に行ける。
「 ないない 」といいながら多少のへそくりはある。

「 ウチ、お金ないねん。」
と言いながらも大概の方はこれぐらいのことは
クリアしてらっしゃるはず。
私のモノサシでは裕福な部類だ。

ただこれらすべてNGの keshidma さんでも
食う寝るところに住むところさえままならぬ方々からすれば
あんた恵まれてるで!って、言いたくなるんやろな。

まぁ、日本で暮らせていること自体が贅沢か。

お金のある、なしと、幸せの感じ方は別ものなんだな。
でも、「衣食足りて礼節を知る」も嘘じゃないんだな。

そういやその昔
一杯のかけそば
ってな話、ブレイクしたよな。
アラフィフ以上にしかワカラン話か。

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