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 2018年5月23日(水) 06:37 JST

無意識の思いやり

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「 医師の診断をオオカミ少年の声に例えるのは
  余りにも可哀想だと思いますが (⌒‐⌒) 」

と、メール愛人からやんわりとご忠告を賜りました
ぬいいとさんです。

確かに。
現実的な、的確な、客観的な診断に対して
失礼な表現だったかもしれません。
悪意は無かったのですが。
私が著名人なら炎上モノだったかも?です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
父は今年に入って要介護5となってから
この5月に亡くなるまで、俯瞰でみると
徐々に下降線を辿っていった形なのであるが
その日々は決して希望のないなだらかな下り坂ではなく
希望の上り坂が訪れては、悟りの下り坂がやってくる
といった感じで日々が過ぎていったという状況だった。

越年できないかと思わせるくらいに衰弱していたのが
介護体制を整えたことによって
座った姿勢で
一杯のうどんを自力で食べられるまで回復したり。

「この調子ならお風呂が入れるようになるかも?」
と、ヘルパーさんと期待していたらまた徐々に
食欲がなくなったり。

入院してからも最初は意識なく
ただ眠っていただけだったのが
そのうちにプリンやヨーグルトを食べるまでになって
まだまだ頑張れるんじゃないかと期待したり。

下り坂を現実として受け入れつつも時折訪れる
小さな上り坂に一喜一憂することでまわりも救われた。
お世話になったケアマネさんによると
終末を迎えるまでに幾度か訪れるこの
「希望の小さな上り坂」
は、どんな方にもよくよくあることだそうだ。

生きたいという「欲望」
身内に心配をかけまいとする「愛」
死ぬ前にそんなことまで考えているのかどうかは
死んだことがないのでわからないけど。
ただ、もしそんなことまで考えていなかったとしても
「無意識の思いやり」みたいなものが本能的に
人間には備わっているのかもしれないと感じた。

父が亡くなったのは「火曜日」
父が築きあげたお店の定休日だった。
仕込んだ食材が無駄にならないように
日々の支払いが滞らないように
そんな無意識の思いやりがあったかもしれない。

オオカミ少年の声

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ピリオドを打ってから思いのままに過ごしていたが
数ヶ月経った昨年末、父の心身の衰えが急に目立ち始めた。
食べない、通院不能、入浴サービスドタキャン、etc…

「ひょっとしたら年越せないかも」

一頃はそんな状態だったが、敏腕ケアマネさんの
的確な判断とブルドーザー的対応でみごと復活!
年明け数週間後にはおうどん一杯食べられるくらいまで
回復した。

「いつ、何があってもおかしくない状況」

医師からそう告げられて、かれこれ1年は経っただろうか。
何度ももうアカンのとちゃうか?という場面に遭遇して
そのたびに復活してきたオヤジさんである。

実姉 keshidamaさんと私にとって、医師の言葉が
オオカミ少年の声と化していた。

姦しい

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とても近くにありながら行く機会のなかった病院に来た。
前に訪れたのは53年前だ。

病室に入ると実姉ピカリさんが来てた。
わちゃわちゃと、つもる話がどちらからともなく始まる。
ほどなくもうひとりの実姉 keshidama さんがやってくる。
わちゃわちゃわちゃと話の三重奏となる。

「 あ!この部屋こんなとこにトイレあるやん!
  ちょうど良かった、いっとこ♪」

「 ほな私もその次行くわ♪」

傍らにはオヤジさんが聞こえてるのか否かわからないが
眠ってる躰で時折右手をわちゃわちゃと動かしている。

「 ここ、私ら産まれた病院やんな?」

「 そやで、ぬいいとさんが産まれた時も私ら来たし。」

「 そやそや、あの頃は窓から味の素の看板見えてたよな。」

「 カルピスの看板もあったでぇ。」

「 そんなんあたし、覚えてないわ〜。」

「 そらアンタまだ産まれたばっかりやから当たり前や(笑) 」

あの頃とは違う、真新しくなった病院の窓から外を眺めると
でぇ〜ん!と日本一高いビル、ハルカスがそびえ立っている。

♪おんな三人寄〜ったら、かしましい〜とは愉快だね♪

これを唄えるのは昭和の関西人だけやろな。

こんな日が少しでも長く続きますように 。
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ラガーマンへの道

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ここにきてラグビーがにわかにクローズアップされてきた。
息子Y太も中学生の時はラガーマンだった。
小学生の時に近所のテニススクールに行っていたので
そのまま中学でもテニスを、といきたかったところだったが
生徒数が少なく、運動クラブの数も限られていて
選択肢は「サッカー」「卓球」「ラグビー」しかなかった。

「 サッカーは未経験者にはハンデあるし
  ラグビーは激しすぎるよな。
 学校で卓球やって、あとはテニススクールか?」
と、思い込んでいた母だったがY太が選んだのは
ラグビー部だった。

Σ( ̄□ ̄!!) はぁ〜〜〜〜〜っ?!らぐびぃ〜?!
と、ひっくり返ったのを覚えている。
小6の運動会で徒競走2等がMAXだったY太がラグビーてか?!
ひょろひょろスリムなテニスの王子様がラグビーてか?!
絶対骨の2・3本は折るで!
しかも毎日砂まみれやし!
え?結構用具代もバカにならへんやん!
(≧ε≦)ひぇ〜!考えなおしてくりぃ〜!
ってのがぬいいと母の正直な気持ちだった。

案の定、骨はもう何本折ったか忘れるくらい折った。
玄関先や風呂場、廊下、そしてなぜかY太の布団まで
いつも砂でザラザラしていた。
運動神経も良い方ではないので3年まで保たないと思ってた。
だが、彼は中学生最後までラガーマンを貫き通した。
3年間、骨を折り倒したことも、砂まみれな毎日も
終わってしまうと寂しい、済んでしまうとみな勲章だ。

さて高校でもラグビーを!と、いきたいところだったが
今度はそのラグビー部がない(笑)。
テニスの王子様に逆戻りである。

ラグビーは過酷なスポーツである。
ケガは絶えないし、強靱な身体作りのために
食事は吐くほど食べさせられる。
それゆえに本人がやりたいと希望しても
親御さんの反対にあってやむなくラグビーを断念した
という話もちょくちょく耳にする。
親御さんの気持ちもよくわかる。
でも、本人さんがやりたい!っていえば
ぜひ、やらせてあげてほしいな。

昨今のラグビーブレイクを受けて、ラガーマンの末席の
そのまた後ろの立ち見席にいるY太がちょっとばかし
誇らしげに思う。

「 ラグビーやる。」
って言い出したときは全然乗り気じゃなかったけど。
未だに
「 え〜っと、ワントライで何点やったっけ?」
てな感じでかなりいい加減な母やけど。
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雪は何してんのん?

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社会人3年目の雪。
雪の門出を迎えて1年目は本社のパソコンの前で
黙々と作業をしていたが、その後遠方の病院の
新システム起動のため、海外出向を命じられた。
あ、海外といっても我が家では北海道だろうが沖縄だろうが
淡路島だろうが、本州を離れたら
全部まとめて「 海外 」である。

なんちゃら大橋を往来しながら平日は現場へ出張
週末は自宅に戻るといった状態が、もう1年半続いている。

窓口業務が続く雪。

「 あ〜早く本社帰って開発してぇ〜。」

の言葉に

「 いっそのこと住民票移したら?」

とイジる旦那さん。
仲のえぇ父娘だ。

そんな生活もあと一週間、次に帰阪したそのあとには
本人さん待望の本社勤務が待っている。

「 いったん本社でその次は北海道の病院か?
  ( *´艸`)クスクス・・・・・ 」

旦那さんがまたイジる。
仲のえぇ父娘だ。

毎週毎週同じチームを組んでいる数人で車での移動。
雪も大変だが、運転してらっしゃる方はもっと大変だ。
ウチの大事な娘を乗せて、ここまで無事故無違反で
きてくださったこと、どんなに感謝してもしつくしきれない。

と、こんなところで感謝の意を述べても伝わらないので
一度その会社の方に直接お会いして礼を述べるなり
お歳暮なりお中元なり贈りたいという気持ちを雪に言ったら

「 そんな余計なことはせんでよろしい。」

と、一蹴されてしまった。
そやな、社会人やし、親の出る幕やないわな。はいはい。

他の方々はまだ出向先での業務をつづけられるとのこと。
これからの移動も変わらずご無事でありますように。
(-人-)

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